【2】 市報ちょうふ 令和8年(2026年)1月1日 No.1806 【3】 ●落語家 日本テレビ「笑点」メンバー立川(たてかわ)晴(はれ)の輔(すけ)さんに聞く ◎「笑点」メンバーである立川晴の輔さん。立川流の落語家として、番組で初めてレギュラーメンバーとなる。調布市に25年以上住み続け、市制施行70周年を祝うべく記念映像にも出演いただきました。今回は、落語家になるきっかけから調布の魅力まで幅広く語っていただきました。 ◇調布市に住んだきっかけは  妻の地元が調布だったんです。調布に住む前は、京王線の幡ヶ谷に住んでいました。前座修業中でしたので、幡ヶ谷といっても家賃は2万9000円で、風呂無しのアパートでした。立川流の前座修業は、師匠や一門の兄弟子からご飯は食べさせてもらえるものの、給料はなく、交通費も出ません。落語会の開口一番として高座に上がって、はじめて出演料をいただけます。当時は貯金を切り崩し、応援してくださる方の御心に甘えさせてもらいながら、前座修業に励んでいました。大変でしたが今から考えると、その時に人の温かさや、蛇口をひねるだけでお湯が出てくる素晴らしさを深く学んだ気がします。  そして妻と籍を入れた時、見かねた妻の両親が調布に風呂付きアパートを借りてくれたのが調布市に住んだきっかけです。妻の実家は塗装工でしたので、「落語家としてやっていけなかったら、職人として引き取ってゼロから鍛え直すか」と思ってくれていたのかもしれません。だからこそ、落語家としてやっていくことを許してくれた妻の両親に心から感謝しています。もし、私の娘が落語家を連れて来たら、絶対に反対します(笑)!! ◇奥様と出会う前まで、調布市との縁はありましたか  縁ではないですが、初めて調布を知ったのは小学生の頃でした。野球が大好きで、当時、高校野球のスターだった、荒木大輔さんが「調布リトルリーグ」の出身だったことを本で知り、「少年野球のトップチームが東京の調布という街にあるんだ」と認識したのを今でも覚えています。実際に住んでみると、サッカーの街になっていますね(笑)。また、高校時代は岡山県津山市に住んでいました。岡山県には「調布」という名前の和菓子があります。もっちりとした求肥(ぎゅうひ)を、薄皮のカステラ生地で包んだ岡山の銘菓です。高校1年生の時にその銘菓を貰い、荒木大輔さんの顔を思い出しながら食べた記憶がうっすらあります。 ◇落語家になったきっかけを教えてください  一浪して、東京農業大学に入学しました。親に高い学費を出してもらうわけですから、何をすれば親孝行になるかと考えた時、「4年間の大学生活、とても楽しかったです!」と、心から笑顔で報告することが一番だと本当に思いました。楽しい大学生活を送るには、面白い人と出会うのが最善だと考えて、面白い人が集まっているであろう、落語研究会に入りました。ところが落研には、面白い人はいなかったんです…。癖のある人ばかりの集まりでした(笑)。  でも癖のある人たちは、付き合って3カ月くらいすると、その人の味わいがゆっくり滲(にじ)み出てくるんです。気付くとこちらがハマっている。噛めば噛むほど味が出る、スルメのような集団でした。 ◎大学時代は落語研究会所属たまたま行った立川志の輔独演会で落語の“沼”に  人間関係は、ファーストインプレッションで判断してはいけないなと、学生ながらに感じました。そして、落語研究会に入ったからには「落語を知ろう」と思い、寄席に行ったり、いろんな落語会へ足を運びました。そんな中、たまたま行ったのが、師匠の「立川志の輔独演会」でした。師匠が語る江戸の世界にどっぷりハマり、終演後、客席から立てないくらいの衝撃を受けました。座布団一枚で師匠の言葉だけなのに、「あれ?今そこに八っつぁんがいたよね?隠居さんがそこで煙草を吸ってたよね?」と思うほど、江戸の街が頭の中に広がり、完全に日常を忘れた時間を体感しました。「落語って凄い!」と思いましたね。それから師匠の独演会に、大学卒業までの4年間通い続けて、落語家になることを決意しました。 ◇志の輔師匠に入門して、初めて高座に上がる時が来るわけですが  入門を志願して、一番はじめに言われたのが、「見習いとして、そこら辺にいろ」という言葉でした。「そこら辺って、どこら辺?」と思いましたし、兄弟子がいなかったので、教えてくれる人がいないのはきつかったです。全てにおいて距離感を計りながら、師匠の鞄を持ち、運転をし、雑用をこなす日々でした。正式に入門を認めてもらえるように必死に働きました。怒られながら一つ一つを学んでいく感じでした。  3カ月が過ぎたある日、突然師匠から「志の吉にする」と言われました。落語家の前座として入門を許された瞬間でした。「立川志の吉」という名前をいただき、正式に師匠志の輔の弟子にしていただきました。 ◎晴れて志の輔師匠の弟子に“どうしたら良いのか”ひたすら考えて行動する日々  そこから新たな前座修業がスタートします。師匠のお世話をさせてもらいながら、落語の稽古もつけてもらえるようになります。数カ月たったある日、神奈川県のあるホールで師匠の独演会がありました。私が楽屋で働いていると、師匠から「出ろ!」と言われました。「楽屋から出ろ」という意味だと思い、出ようとしたら、居合わせた師匠の弟弟子から「ありがとうございますと言え!」と言われ、頭がパニックになりました。出ろというのは「前座として、高座へ上がれ」という意味だったんです。  訳が分からないまま高座へ上がり一席しゃべりました。あまりに急過ぎて、緊張する間もありませんでした。それが私の初高座(初舞台)となりました。  今から思うと、事前に初高座の日程を伝えられていたら、きっとガチガチに緊張していたと思います。師匠はそんな私の性格を見抜いた上で、突然の「出ろ」と言ってくれたのかも。これは愛情というか、粋な計らいだったんだと思います。 ◇落語立川流の修業はどのくらい続きますか  落語家の修業は死ぬまで続きますが、江戸の落語界は見習い、前座、二ツ目、真打という階級制度です。師匠の付き人としての修業は、見習いと前座になります。 ◇付き人としての前座修業はどのくらいの期間あったのでしょうか  私の場合は6年やりました。師匠志の輔に付いて、北は北海道から南は沖縄の西表島まで、さらにはメキシコやタイなどの海外公演も同行しました。入門して3年過ぎたあたりから、師匠の声のトーンや足音を聞いただけで、その日の機嫌の良し悪しが分かるようになりました。たった一人の師匠の気持ちを掴めなくて、大勢のお客様の気持ちが掴める訳がないという暗黙の教えです。  そして、大師匠にあたる立川談志の試験に合格して、立川流二ツ目に昇進しました。そこからは自分で落語会を開けるようになります。高座の数を増やしながら、今度は真打を目指す。ここからが、また長い長い道のりになります。 ●J:COM(地デジ11チャンネル)「テレビ広報ちょうふ」 〈新春号〉1日から19日 「市長、議長、木島平村長の新年のあいさつ」など 〈20日号〉20日から翌月4日 市政情報など 放送内容は調布市公式YouTubeでも配信中 ●調布FM83.8メガヘルツ市政情報番組「調布市ほっとインフォメーション」 〈新年市長インタビュー〉1月1日(祝日)/午後2時30分から、9時から 2日(休日)・3日(休日)/午後1時30分から、4時から、9時から (注)放送が休止・時間変更になる場合あり。インターネットでも聴取可。詳細は調布FMホームページ参照