PUBRIC INFORMATION CHOFU No.1497 みんなが笑顔でつながる・ぬくもりと輝きのまち調布 市報 ちょうふ 【1】 平成26(2014)年9月5日 金子元市長追悼臨時号 ■発行:調布市 ■所在地:〒182-8511 東京都調布市小島町2丁目35番地1 ■編集:行政経営部広報課 調布市ホームページ http://www.city.chofu.tokyo.jp/ 電話042-481-7111 電話の掛け間違いにご注意ください 金子元市長を偲んで  元調布市長金子佐一郎氏(86歳)が、8月9日に逝去されました。  金子氏の逝去を悼み、慎んでお悔やみ申し上げます。  金子氏は、昭和53年7月22日に第5代調布市長に就任しました。昭和61年7月22日に退任するまでの間、「スポーツと語らい」によるまちづくりを提唱し市政運営に当たられました。  当時は、長期低迷する経済情勢の中、価値観の変化による市民生活の多様化、高齢化・情報化社会など新しい時代への転換期でした。  この厳しい社会情勢の中、金子氏は「清潔・公平・信頼される市政」を政治理念として、下水道の敷設100%の達成をはじめ、総合体育館、総合福祉センター、武者小路実篤記念館の開設や防災行政無線の整備、児童館、図書館網の完成、また、行財政改革の推進や長野県木島平村との姉妹都市盟約の締結など、今日の調布のまちの礎を築かれました。  金子氏を偲び、裏面で2期8年間の主な功績を振り返ります。 故 金子佐一郎氏 昭和2年8月16日生(満86歳) 【略歴】 調布市長/昭和53年7月22日~昭和61年7月21日 調布町青年団長/昭和26年4月1日~昭和28年3月31日 保護司/昭和37年12月22日~昭和49年12月21日 調布市消防団第7分団分団長/昭和38年4月1日~昭和39年3月31日 調布市議会議員/昭和38年6月1日~昭和40年7月8日 調布市都市計画審議会委員/昭和38年6月14日~昭和39年6月21日 調布市新市建設審議会委員/昭和38年6月14日~昭和39年6月21日 調布市青少年問題協議会委員/昭和38年6月14日~昭和40年7月8日 調布市駐留軍関係離職者等対策協議会委員/昭和38年6月14日~昭和39年6月21日 調布市民生委員推薦会委員/昭和38年6月22日~昭和40年7月8日 調布市議会報運営委員副委員長/昭和38年6月22日~昭和40年7月8日 調布市上ケ給自治会会長/昭和44年4月1日~昭和47年3月31日 二枚橋衛生組合管理者/昭和53年7月22日~昭和61年7月21日 東京都十一市競輪事業組合副管理者/昭和53年7月22日~昭和58年6月27日 ふじみ衛生組合副管理者/昭和53年7月22日~昭和61年7月21日 平和病院組合管理者/昭和53年7月29日~昭和61年7月21日 東京都十一市競輪事業組合管理者/昭和58年6月27日~昭和61年7月21日 調布市総合体育館名誉館長/昭和61年10月6日~平成7年3月31日 東京都市町村総合事務組合監査委員/昭和63年4月1日~平成12年5月31日 社会福祉法人東京かたばみ会理事/平成2年12月17日~平成18年12月16日 調布市表彰審査委員会委員/平成4年4月1日~平成8年3月31日 財団法人調布市文化・コミュニティ振興財団理事/平成7年3月31日~平成17年3月31日 調布市表彰審査委員会会長/平成8年4月1日~平成14年12月18日 【受章歴】 勲五等双光旭日章/平成9年11月3日 調布市長 長友貴樹  私が金子佐一郎元市長に初めてお会いしたのは、12年前に市長に就任して間もない頃でした。まさに威風堂々とした風格のあるたたずまいとともに、すべての人を優しく包み込むような慈愛に満ちた温かいまなざしが強い印象として残っております。  枚挙にいとまのないご功績については他欄との詳細な重複を避けますが、インフラ整備や公共施設の建設などにおいて、市民生活の基盤をしっかりと築いていただきました。しかし、オイルショックに起因する不況に見舞われた時代にあって、市政のかじ取りが困難を極めたことは想像に難くありません。  数年前のことです。ある会合でご一緒させていただいた折、このように声をかけていただきました。「私はもつ焼きが好きなんだが、どこか美味しい店を知らないかね」。咄嗟のことに、一瞬その意味を図りかねましたが、一度話でもしようと仰っていただいたのだと分かった途端、有難さに胸が一杯になりました。  そして、談論風発のこの上なく楽しいお話を聞かせていただくとともに、熱い激励を賜りました。「とにかく真面目にやっていれば、おのずから道は開けるものだよ」。  お言葉を反芻(はんすう)しながら、愚直に使命を果たしてまいります。どうか安らかにお眠り下さい。本当に有難うございました。 調布市議会議長 林 明裕  突然の訃報を伺ったのは、木島平村へ向かう車中のことでしたが、驚きと共に深い落胆と悲しみを禁じ得ませんでした。金子元市長が姉妹都市盟約を結ばれた長野県木島平村との交流は来年で30周年を迎えます。その夜行われた夏まつりは、調布からの市民も交えて賑わいを見せる一方で、小雨降る中での開催となり、図らずもそのご逝去を悲しむかのような空模様でした。  金子元市長は、我々市議会議員の先輩でもあります。昭和53年7月から2期8年間、市長として、第一次オイルショック後の我が国の経済成長回復期、人口が爆発的に増加した調布市において社会資本整備から福祉の充実、文化活動まで、幅広い行政需要に応えて、その実現に着実に取り組まれ、今日の繁栄の礎を築かれました。これらのご功績は、金子元市長の長けた人心収攬(しゅうらん)のお力があったからこそであり、改めて気骨溢れる包容力、豊かなお人柄と共にそのお姿が偲ばれます。  調布市は、来年市制施行60周年を迎えます。基礎的自治体としての行政の役割と責任が益々大きくなる中、市民福祉の向上に向けて、市議会としてたゆまぬ努力を行っていくことをお誓い申し上げます。 No.1497 平成26(2014)年9月5日 【2】 金子元市長追悼臨時号 「快適・安全・スポーツ・心のふれあい」の8年間 調布市総合体育館の開設  総合体育館は、市制施行30周年記念事業の一環として、スポーツと語らいの場、市民相互の連帯の場、さらに「ふるさと調布」のまちづくりの場として建設され、昭和60年10月10日に落成しました。  金子氏を先頭に市民や市議会議員、都議会議員の協力もあり、3年にわたる東京都との交渉の結果、建物の高さを樹木の高さ以内との条件で、約2万平方メートルの敷地を無償で借りることができました。地上から7メートル掘り下げ、体育室、屋内プールなどを地下に配置し、建物の高さを地上10メートルに制限しました。  外観は、深大寺の森と緑の景観を損なうことなく、周辺環境に調和しています。樹木と芝で覆われた丘となり、中庭に続く道の両側には四季折々に香る、梅、沈丁花(じんちょうげ)、ライラック、くちなし、金木犀、山茶花(さざんか)などが花を咲かせています。また、南側入口には、姉妹都市長野県木島平村から寄贈された白樺が植えられています。  現在も、大・小体育室、屋内プール、トレーニング室、ランニングコースのほか、市民文化の発表の場となる展示ギャラリーを備えた総合的コミュニティ施設として、多くの市民に利用されています。 武者小路実篤記念館の開設  市制施行30周年記念事業として、昭和60年10月、終焉の地となった調布市若葉町に武者小路実篤記念館を建設しました。91歳の生涯を通じて、文学はもとより、美術・演劇・思想と幅広い分野で活躍された武者小路実篤。  実篤の業績を顕彰する記念館は、心・美・愛・真などの6つのゾーンに分けられ、ご遺族から寄贈された貴重な作品や資料を中心に展示公開し、実篤の人柄を偲ばせています。  金子氏は、「記念館の中には実篤先生が体現された、人類にとって最も大切な大きな知恵がつめられている。訪れる人が公園の風情とともに、何物かを一つでも感得できればと願っている」という言葉を残しています。 長野県木島平村との姉妹都市盟約の締結  「市民に昔話でない本物の自然を、そして第二のふるさとを」という願いから、市と長野県木島平村が市制・村制30周年を迎えた昭和60年8月に、市は木島平村との姉妹都市盟約を締結しました。盟約の内容は、「両市村は、教育・文化・スポーツ・産業など広く交流を図り、住民相互のふれあいと信頼を高め、もって両市村の限りない発展を願う」というものです。  同年、市は木島平スキー場内に保養施設の調布市木島平山荘を開設し、この施設を拠点として姉妹都市の交流が図られてきました。木島平山荘は施設の老朽化に伴い、平成23年3月に宿泊施設としての業務を終了しましたが、山荘の業務終了後も多くの調布市民に木島平村を訪れていただけるよう、木島平村に調布市民が宿泊する際の費用を助成する「姉妹都市・宿泊費助成制度」を行っています。  また、平成15年10月、調布駅から徒歩3分の距離にある調布銀座商栄会ゆうゆうロード内に、木島平村アンテナショップ「調布&木島平食の駅 新鮮屋」が開店し、現在も安心・安全な木島平村の農産物、特産品を販売するとともに、木島平の最新情報を提供しています。 下水道整備100%達成  快適な生活環境づくりに欠かせないのが下水道。金子氏は就任当初から下水道施設整備の施策に取り組み、当時の処理面積がわずかに約40%といった状態から、昭和61年3月には、市内の下水道敷設100%を達成しました。 調布市総合福祉センターの開設  総合福祉センターは、身体に障害のある方がリハビリテーションなどの専門的な訓練を受けることができる身体障害者福祉センターと、高齢者が趣味や娯楽を通じて仲間づくりができる老人福祉センター、地域の福祉団体が活動しやすいよう、連絡調整機能をもつ社会福祉協議会を併設した総合センターです。  通常このような施設は、まちの中心地を避け、対象者の専用施設として建設されることがほとんどですが、市は、障害のある方・高齢者を含め全ての人が、総合福祉センターを通じて共に交流ができ、市民の福祉に対する理解が深まるようにと、昭和58年に調布駅前の中心地に建設しました。 防災行政無線網100%達成  災害発生時には、電気・ガス・水道はもとより、交通機関及び有線電話がマヒ状態に陥ることも予想されます。通信機能が使えない場合の大混乱を防止するため、災害状況を迅速かつ的確に把握・収集し、市民に広報する体制を確立するため、昭和56年度から5か年計画で防災行政無線の整備を進めました。昭和58年から運用を開始し、昭和61年に完備しました。  現在では、いつ起きるかわからない災害に備え、防災行政無線の点検を兼ねて毎日午後4時45分から調布市民の歌「わが町調布」の音楽を放送しています。また、月曜日と金曜日の午後1時15分からは、子どもの見守り放送を行っています。 金子元市長の8年間の歩み 【昭和53年】 7月 第5代調布市長に就任 12月 第1回福祉まつり開催 【昭和54年】 4月 国領小学校開校、深大寺児童館開設 8月 移動スポーツ車巡回開始 10月 調布ケ丘地域福祉センター開設 【昭和55年】 4月 富士見児童館開設、多摩川市民テニスコート開設 6月 染地地域福祉センター・図書館染地分館開設、バイ調布運動の標語「バイ調布、心で結ぶ店と客」・シンボルマーク決定 10月 移動市長室始まる、市制施行25周年記念式典挙行 11月 第1回婦人インディアカ大会開催 【昭和56年】 1月 リサイクルセンター稼働 2月 調布市基本構想まとまる 3月 震災用流水タンクを調布中学校に設置 4月 布田小学校開校 10月 訪問看護事業始まる 【昭和57年】 2月 第2次基本計画決まる 6月 佐須児童館開設 7月 調布市長に再選、図書館佐須分館開設(11館目)、多摩川花火大会の復活 9月 深大寺市民テニスコート開設 【昭和58年】 4月 西部児童館開設、古天神公園開園 5月 希望の家・授産場完成 6月 総合福祉センター・西部公民館・緑ケ丘地域福祉センター開設 7月 八ヶ岳少年自然の家落成 8月 防災行政無線運用開始 10月 第1回市民スポーツまつり 【昭和59年】 4月 緑ケ丘児童館開設、自転車条例施行 5月 野草園を一般公開 6月 西調布体育館開設 7月 菊野台地域福祉センター開設 11月 調布ケ丘児童館開設(10館構想達成) 【昭和60年】 1月 「ちょうふ八景」決まる 2月 第3次基本計画決まる 3月 小・中学校の鉄筋化100%達成 5月 富士見地域福祉センター開設 8月 木島平山荘開設、長野県木島平村と姉妹都市の盟約を結ぶ 10月 総合体育館落成、武者小路実篤記念館開設 11月 市制施行30周年記念式典挙行 【昭和61年】 3月 下水道整備100%達成 4月 古天神公園に「香りの公園」開設 5月 下石原地域福祉センター開設(8館目)