陳情文書表 (平成30年2月15日受理) 受理番号 陳情第87号 件名 核兵器禁止条約に議会の賛同を求める陳情 提出者の住所・氏名 (注)非公開情報 付託委員会 文教委員会 (趣旨) 昨年7月7日、国連総会で核兵器禁止条約が採択されました。人道主義と人権、人間の尊厳が基本になっています。12月、この動きを推進してきたICANがノーベル平和賞を受賞しました。 一市民として自分に何ができるかを考えました。まず条約を日本語と英語で読んでみました。日本語では読み過ごしてしまう言葉が英語では明確にイメージできることに気づきました。例えば次のようです。 前文の11パラグラフ「核兵器のいかなる使用も人道主義の諸原則及び公共の良心に反するであろう」の反するは英語ではbe abhorrentで意味はホラーを呼び起こすであろう、と非常に強い、感情的にも許しがたいとの意味が含まれます。 また条文第1条「核兵器その他の核爆発装置を開発し、実験し、生産し、製造し、その他の方法によって取得し、保有し、又は貯蔵すること」の生産し、製造し、は日本語では生産と製造の違いが不明確で、どちらも作る、の意味。英語では生産はproduceで新しく作り出す意味が明確。製造はmanufactureとなっていてただ作る意味。また取得し、はgetでなくacquireで、自分が望んで、努力して手に入れる意味がはっきり出てきます。このようなニュアンスは日本語訳では伝わりにくくなっています。 2月10日、30年ぶりに広島平和記念資料館を訪れました。まず2階に行くように案内され、そこでは原爆投下前と投下後の爆心地のまちの全容がパノラマで見えるように工夫されていました。さらに戦後の核軍拡と核軍縮の歩みが電子データで見ることができました。知識がふえ理性で理解できる展示です。 その後1階へおりていきました。被爆者の遺品が展示されていました。30年前とは感じるものが違いました。被爆した三輪車とその子どもの話がメモされていました。子どもは自宅の庭に40年間、三輪車と一緒に埋葬されていたようです。墓に移される際に三輪車は資料館に寄贈されたと。さらに1枚の写真に目が吸いつけられました。女学生です。顔と上半身が黒く焼け焦げた写真です。仮に命が助かっても生きていくことができないようなやけどで、心が重くなりました。 地下1階におりました。オバマ大統領の折り鶴もありましたが、私の心を強く打ったのは、亡くなった子どもをこもで巻いて背負ったお父さんが「熱かったね、苦しかったね、つらかったね、一緒にお父さんと家に帰ろうね」と、背中の子どもに語りかけながら焼け野原を家路に向かおうとする絵でした。この絵は御自身も被爆された方が実際に見てこられた光景を絵にされたもののようです。 1階の遺品と地下の絵は心を揺さぶります。私は、市民はこの心の次元で核兵器の問題を考えなければいけないと思っています。単に知識と理性だけでは甲論乙駁で論争はできても行動の本当の力にはなり得ないからです。 日本人の被爆のこのような体験、さらには核実験による南太平洋諸島、アメリカ、旧ソビエトの実験場の被爆者たちの体験に基づいた、国際人道法と世界人権法、人間の尊厳の見地から、24パラグラフの前文と20条の条文から国連の核兵器禁止条約は成り立っています。 よって核兵器禁止条約に議会の賛同を求めるものです。調布市議会の議員各位が、この条文をお読みになり自分はこの条約に賛成か反対かを、反対ならなぜ反対かの理由を明示してこの条約に対する意思を明確に示していただきたく陳情いたします。