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ページ番号:2368
掲載開始日:2021年10月8日更新日:2021年10月8日
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染地遺跡で行われた発掘調査
染地遺跡の概要
染地遺跡は多摩川中流域左岸の沖積低地に立地する集落遺跡です。
これまでに行われた発掘調査では、縄文時代晩期から近世に至る各時代の遺構・遺物が検出されており、沖積低地内の微高地上を中心に、集落跡が形成されたことが明らかになりました。検出された主な遺構は、縄文時代晩期の配石遺構や集石遺構、弥生時代後期の竪穴住居跡、古墳時代中期から後期の竪穴住居跡、奈良・平安時代の竪穴住居跡や掘立柱建物跡、鍛冶工房跡、中世の木棺墓や溝状遺構、近世以降の道路状遺構などが挙げられます。
第128地点の発掘調査
染地遺跡第128地点の発掘調査は、染地三丁目に所在する多摩川住宅の建て替え工事に伴い、令和元年8月から令和3年2月にかけて行われました。調査面積は約6,500平方メートルです。
第128地点の調査は、東京都埋蔵文化財センターが行いました。詳しい調査成果については、東京都埋蔵文化財センターのホームページ(外部リンク)、または広報誌「たまのよこやま」125などに載っています。
調査成果
調査の結果、現在の地表面から約1.5メートル下層から、弥生時代後期から古墳時代後期、平安時代の竪穴住居跡が74軒見つかり、ここに大規模集落があったことが明らかになりました。
調査区中央には浅い谷状の窪地があり、東西方向に調査区外へと延びています。この窪地を挟んで南北に、各時代の竪穴住居跡が密集して分布しています。
窪地の詳しい時期は明らかではありませんが、流路の跡と考えられます。窪地のほぼ中央からは、建築部材や木製品のほか、小銅鐸(しょうどうたく)が出土しています。小銅鐸は、銅鐸を小型化した青銅器で、全国でも60点ほどしか確認されていない貴重な資料です。都内では、新宿区高田馬場三丁目遺跡、八王子市中郷遺跡に次いで3例目の発見となります。
発掘調査で出土する青銅器の多くは、錆びて緑青色(ろくしょういろ)をしていますが、今回出土した小銅鐸は銅本来の赤銅色をしていました。染地遺跡が低湿地に位置していて、泥土に厚く覆われていたことから、空気に触れずに錆びることなく、そのままの状態で保存されたためです。
弥生時代
後期の竪穴住居跡が27軒確認されました。
調布市内で発見された弥生時代の遺構は非常に数少なく、住居跡がこれほどまとまって確認されたのは初めての事例です。
住居跡の分布状況をみると、谷状の窪地を挟んで南北に集落跡が営まれた様子が見て取れます。このうち、調査区の南西端より検出された住居跡は、一部を確認しただけですが、一辺の長さが10メートルを超える非常に大型の住居跡です。このような大型住居は、集落内の有力者の居宅もしくは集会所・共同作業場などに利用されたものと考えられています。
古墳時代
竪穴住居跡44軒と土坑2基が確認されました。
竪穴住居跡の時期は、前期8軒、中期15軒、後期21軒です。時期ごとの分布状況を見てみると、前期は谷状の窪地の北側を中心に分布していたのが、中期には窪地の南北に分かれて集落が営まれます。後期になると主に窪地の南側に住居跡が分布するようになり、時期が下るにつれて、集落の中心が調査区北側から南側に移っていく様子がうかがえます。
また、調査区北東端で検出された土坑2基は、中期の土壙墓と考えられ、覆土中からは副葬品とみられる臼玉(うすだま)が数十点出土しました。
平安時代・中世・近世
調査区南東端より、平安時代の竪穴住居跡1軒が検出されました。
また、中世から近世にかけての溝状遺構が65条確認されたほか、柱穴や土坑が多数確認されました。溝状遺構は道路跡や区画溝、耕作にかかわる畝間溝などと考えられます。