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ページ番号:1578
掲載開始日:2015年3月23日更新日:2015年3月23日
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古墳から安土・桃山時代
古墳から安土・桃山時代
多摩川(たまがわ)の周辺では、4世紀に入ると土を高くもり上げてつくった身分の高い人のお墓(古墳)がつくられ始め、市内でも5から7世紀にかけてつくられた飛田給(とびたきゅう)・下石原(しもいしわら)・上布田(かみふだ)・下布田(しもふだ)・国領南(こくりょうみなみ)などの古墳群が知られています。
また、このころの住まいのあともたくさん見つかっていて、村があったことが分かります。
奈良・平安時代になると、隣の府中市に国府(国ごとの役所)が置かれました。調布市内でも国府で働く人の持ち物(ベルトの飾りや硯)などが見つかっています。仏教が伝わり、国宝の深大寺白鳳仏(銅造釈迦如来倚像)がつくられたのもこのころです。
武士の時代となった鎌倉時代以降は、多摩川(たまがわ)とその周辺がたびたび戦いの舞台になりました。
みなさんは、深大寺の小学校の近くにある深大寺城跡(じんだいじじょうあと)を知っていますか?深大寺城(じんだいじじょう)は戦国時代のもので、上杉氏(うえすぎし)が小田原の北条氏(ほうじょうし)に対抗するため古い城を建て直したものとされています。