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ページ番号:1581

掲載開始日:2015年3月23日更新日:2015年3月23日

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大正・昭和時代

大正・昭和時代

大正2(1913)年、京王電気軌道(京王線)の笹塚(ささづか)から調布間が開通しました。大正4(1915)年には新宿から調布間、次の年には調布から飛田給(とびたきゅう)・府中(ふちゅう)と路線を延ばしていきました。
調布市域はこのころから行楽地・郊外住宅地として注目されるようになり、大正12(1923)年の関東大震災をきっかけに都心部からたくさんの人がうつり住み、工場も進出するようになりました。
昭和の初めには、京王閣(けいおうかく)や日活撮影所(にっかつさつえいじょ)などの近代的な建物に続いて、商店や料亭などのお店が続々とできました。
昭和6(1931)年には、甲州街道(こうしゅうかいどう)がほそうされ、昭和10(1935)年には稲城村(いなぎむら)と調布町を結ぶ多摩川原橋(たまがわらばし)がかけられ、産業開発と交通の発展に大きく役立ちました。
太平洋戦争が始まると、市内も何度か空襲を受けました。昭和20(1945)年に戦争が終わってからは、人口もだんだんと増え、まちづくりが大きく進むことになりました。