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ページ番号:3516
掲載開始日:2015年3月20日更新日:2015年3月20日
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平成26年度 市長コラム「手をつなぐ樹」(第235号から第253号まで)
コラム一覧
- 第253号 どんなに困難でも(平成27年3月20日号)
- 第252号 古巣の温かみ(平成27年3月5日号)
- 第251号 「映画のまち」にふさわしく(平成27年2月20日号)
- 第250号 慈愛に満ちた眼差し(平成27年2月5日号)
- 第249号 復帰願望(平成27年1月20日号)
- 第248号 永遠の灯(ともしび)(平成26年12月20日号)
- 第247号 パリの誕生日(平成26年12月5日号)
- 第246号 とこしえの平和を(平成26年11月20日号)
- 第245号 人類の進歩とは(平成26年11月5日号)
- 第244号 日本再生をアピール(平成26年10月20日号)
- 第243号 恵まれた環境の中で(平成26年10月5日号)
- 第242号 諸外国との触れ合いの中で(平成26年9月20日号)
- 第241号 危機意識の共有を(平成26年9月5日号)
- 第240号 ご功績を受け継いで(平成26年8月20日号)
- 第239号 とり残されたスクラップ(平成26年8月5日号)
- 第238号 魅力ある首都の形成に向けて(平成26年5月20日号)
- 第237号 後悔先に...(平成26年5月5日号)
- 第236号 是非ともご参加を(平成26年4月20日号)
- 第235号 このまちに住んで(平成26年4月5日号)
第253号 どんなに困難でも
どうしてこんなむごいことが起きてしまうのだろうか。川崎市の中学生が犠牲になった殺人事件の全容は徐々に明らかになるのだろうが、その要因は到底理解できるものではないだろう。また、今回の事件現場が多摩川河川敷だったことに、他人事ではない恐怖を感じてしまう。
多くの同級生は、被害者を明るく活発で友達思いと評したそうだ。どこにでもいる、人懐っこくあどけない少年だったのだろう。前年はまだ、小学生だったのだから。
残虐な犯行に加わった加害者の心はすでに病んでいたと言えるのかもしれない。だが、それにしても、なぜ人としての最低限の感情まで捨て去ってしまうことができるのだろうか。乾ききった心でためらいもなく衝動的な行動に走ってしまうとすれば、その病巣はあまりにも深いと言わざるを得ない。
被害者は他の友人に、死をも含めた危害が自らに及ぶ可能性についての恐怖を漏らし、グループを抜けたいと訴えていたという。不安におののく過酷な日常生活を脱して、一刻も早く無邪気な会話に溢れた温かい世界に戻りたかったに違いない。
事件の背景となった環境を一気に変えることは困難かもしれない。しかし、この一件を単に「可哀そう」で済ませるわけには絶対にいかない。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成27年3月20日号掲載)
第252号 古巣の温かみ
先日、仕事の関係で久し振りに以前の職場を訪ねた。大学卒業後に26年間もお世話になった政府関係機関だ。とは言っても、13年前に私が退職して以降、所在地は移転しており現在の建物に勤務したことは無い。
「どうですか、後輩達に会っていきますか」と言われて、いくつかのセクションを案内してもらった。と言うのも、今のオフィスはセキュリティー管理が徹底していて、磁気カードを持たない外部の人間は、職員に同行してもらわなければ部署間を自由に移動することができないのだ。
同期はすでに定年退職しているものの、何人もの懐かしい顔に接することができ本当に嬉しかった。13年前に辞める時にはあまりにも急な決断だったので、丁寧な挨拶ができたとは言い難い。未だにそのことについて自責の念を感じているのだが、それにも拘わらず多くの人達から温かい言葉をかけてもらった。有難いことだ。
また、ある若い女性職員からは「私、国領に住んでいます」と自己紹介され、どぎまぎしてしまった。同様なことはしばしばあるが、当方が気付かないうちに、まちですれ違っているかもしれない。思わず苦笑する。
いずれにしても、心和むひと時を過ごさせてもらい、ほっこりした思いを胸に帰路についた。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成27年3月5日号掲載)
第251号 「映画のまち」にふさわしく
多くの方と同様に、私も映画ファンの一人だ。これまでの人生の折々に鑑賞したさまざまな作品が脈絡なく心に残っている。
たとえば邦画なら、人生の意義を深く感じさせてくれる一連の小津安二郎監督作品や人情味に溢れた渥美清さん主演の「男はつらいよ」シリーズ。また洋画なら、ロシア革命に翻弄される人々を描いた「ドクトル・ジバゴ」、ナタリー・ウッドの「草原の輝き」。その他、フランス映画「男と女」やイタリア映画「わらの男」など、挙げればきりがないが、最初に接した時の深い余韻を今でも鮮明に記憶している。
それゆえに、調布が「映画のまち」と呼ばれ、日本の映画産業発祥の地として、かつては、「東洋のハリウッド」とまで称されたことをこの上ない誇りとしながらも、そのまちに映画館が存在しないことをおそらく大多数の市民の皆さんと同様に、極めて残念に思ってきた。
それだけに、このたび京王電鉄から、調布駅前でシネマコンプレックス(註)事業に取り組むとの計画が公式発表された時には、諸手を挙げて快哉を叫んだ。しかも11スクリーンで計約2,100人の収容人員、最大ホールの定員は500人と、多摩地域最大規模とのこと。今から一日千秋の思いで、2017年度の開業の日を待ちたい。
調布市長 長友貴樹
(註)複数のスクリーンを有する複合型映画館。
(市報ちょうふ 平成27年2月20日号掲載)
第250号 慈愛に満ちた眼差し
元調布市体育協会会長、故林和男氏の野球殿堂入りが決定した。年頭のこの上ない朗報だ。
ご存知の通り、野球殿堂とは日本の野球界において顕著な活躍や貢献を果たした人物を顕彰するために設けられた制度で、それに名を連ねることは、野球に携わるすべての人々にとって最高の栄誉とされている。したがって、その選考は極めて厳格であり、選出は毎年行われるが、相当な実績を残したプロ野球選手でも資格年限(註)の間に選ばれることは容易ではない。
選考分野は、大きく競技者表彰と特別表彰に分かれ、林氏は硬式野球の小学生を対象とした日本リトルリーグおよび中学生対象の日本リトルシニアリーグの創設に果たした功績が高く評価され、今回、特別表彰を受けられることとなった。
子どもたちに対する指導は、ときに厳しいものであったともお聞きするが、私の脳裏に浮かぶのは、彼らを見守る際のまことにお優しい本当に慈愛に満ちた眼差しだ。
また林氏は、リトルリーグの礎を築くことと並行して、調布市体育協会の会長職を昭和48年からなんと36年間の長きにわたり務められた。
林氏が切り開かれた道の延長線上に、さらに素晴らしいスポーツ環境を整備すべく取り組んでいくことをお誓いいたします。
調布市長 長友貴樹
(註)競技者表彰のプレーヤー部門では、プロ野球選手を引退後5年を経過し、その後15年間が選考対象となる。
(市報ちょうふ 平成27年2月5日号掲載)
第249号 復帰願望
正月休みに、かなり以前購入して未読の文庫本を何気なく手に取った。破天荒な人生を描写した私小説の類だが、痛快なストーリー展開に引き込まれるうちに、500ページ超を一気に読み切ってしまった。
その昔、中学校の先生に、「とにかく多くの本を読め。読み方は精読、乱読、何でも構わない。いつか読もうと思って、積読(積んどく)をすることだって悪くない」と言われたことを思い出す。今回は積読の典型だったが、久し振りに爽快な読後感を味わうことができた。
「さあ、また本を読もう」と言うと、何を改まってと言われそうだが、最近は本当に読書に費やす時間が少なすぎる。就学前のある日、家族が揃って散歩に出たのに置いてきぼりにされて、大いにごねたことを覚えている。「おまえにも声をかけたんだが返事が無かった。大方、夢中で本でも読んでいたのだろう」。そんな遠い過去もあったのだが。
時間が無い中で、新聞を6紙読まなければいけないことを免罪符にし過ぎていたようにも思われ反省をする。ここ何年か、読みたいと思う本が時折あってもろくに書店に足を運んでいなかったが、そろそろ読書戦線に復帰しよう。さしあたっては、人生の黄昏を描く人情もの、もしくはわが国の近代史観あたりを乱読か積読で。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成27年1月20日号掲載)
第248号 永遠の灯(ともしび)
年の瀬を迎えて、例年同様に気ぜわしい感覚に包まれる。何かやり残したことは、あるいは、果たしていない約束事は無かっただろうかと懸命に記憶の糸を手繰(たぐ)ってみる。しかし、1年間の出来事が、瞬時に、かつ網羅的に眼前に蘇るものでもない。また、個別の事象をどの程度厳密に脳裏に刻んでいるのかについても、その覚束なさが年々少しずつ募るようにも思われる。往時に比して無念やるかたなしと思えども何とも致し方なく、ただ苦笑あるのみだ。
しかしながら、今年のさまざまな出来事をゆっくりと反芻(すう)するかのように思い起こし、その折々の数え切れぬ方たちとの出会いの情景を振り返る時、改めて多くの人々にお世話になったことだと、しみじみ感じざるを得ない。本当に有難いことだ。
また、この1年は、私にとっては60年を超える人生の中でも、公私ともに極めて印象深い年であった。時の経過につれて受けた衝撃は徐々に小さなものになっていくが、嬉しいことも、淋しいことも心の中で小さな灯として永遠に生き続けていくことだろう。
皆様はどのような1年を過ごされましたでしょうか。明年がすべての方にとりまして幸多き年となりますことを心からお祈り申し上げます。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成26年12月20日号掲載)
第247号 パリの誕生日
今年も誕生日に多くの方から祝意を頂戴した。心から感謝申し上げます。
私はたまたま祝日に生まれたので、家族にもその日を忘れられたという記憶は無い。ただ、忘れられることは無くとも、周囲に祝ってくれる人が一人もいないことはあり得る。
今から30数年前の11月。私は幸運にも職場から留学させてもらいパリで学ぶ日を送っていた。誕生日はフランスでは当然平日であり、その朝も、いつも通り地下鉄での通学途上だった。パリの地下鉄では、楽器を持った若者が、思い思いに情感のこもった歌を乗客に披露して心を和ませてくれる。その日の歌はケサラだった。70年代のイタリアンポップスで、旅立つ若者の心情を訴え日本でもヒットした。
誰一人、祝ってくれる人もいない誕生日。加えて学業も思うに任せない。順風満帆な留学生活など滅多にあるものではないのだ。世界一華やかなまちであるがゆえに、さいなまれる孤独感も逆に極めて大きい。そのような思いの中でケサラの旋律が深く心に沁みた。お礼の意味で1,000円ほどのチップを奮発したことを鮮明に覚えている。
あの頃を偲べば、懐かしさの中にも未だに苦しさを思い起こす。ただ、若い人には果敢にチャレンジしてもらいたい。結果ばかりに捉われることなく。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成26年12月5日号掲載)
第246号 とこしえの平和を
11月10日、うららかな日差しの下、平和祈念祭を挙行した。先の大戦のご遺族の方々が徐々に高齢化しておられることが気がかりではあるが、今年も多数の市民にご参加いただき、恒久平和の誓いを新たにした。
平和の尊さと言えば、その前日は、あのベルリンの壁崩落からちょうど25年、四半世紀が経過した記念日だった。ソ連のペレストロイカ(註1)にも呼応して、89年夏頃からあたかも燎原(りょうげん)の火のごとく一気に波及した民主化のうねりは、またたく間にすべての東欧諸国を巻き込み、11月9日にはついに東西冷戦の象徴であったベルリンの壁が破壊されるに至ったのである。
壁が築かれた61年当時、私はまだ小学校低学年だったので、その事実を理解すべくもなかった。しかし、68年の「プラハの春(註2)の崩壊」は高校時代で鮮明に覚えている。夏の高校野球の実況中継中に、臨時ニュースでチェコスロバキアに侵攻したソ連の暴挙が伝えられたのだ。
プラハの春を主導し、その後失脚したドプチェク氏(註3)が、89年の民主革命の勝利時に、首都の大広場に面したバルコニーに姿を現した瞬間、聴衆から湧き起こった大歓声を私は生涯忘れることができない。
人権を尊重し平和な世界を築くことは決して簡単ではないが、何としても守り伝えていかなければならない。
調布市長 長友貴樹
(註1)80年代後半にゴルバチョフが推進した改革。ロシア語で「再建」を意味する。
(註2)68年春にチェコスロバキアで起こった民主化運動。
(註3)68年に共産党第1書記。ソ連軍の介入で失脚し、89年に復活後、連邦議会議長。
(市報ちょうふ 平成26年11月20日号掲載)
第245号 人類の進歩とは
最近、仕事がらみで故川島雄三監督の映画を立て続けに2本鑑賞する機会を得た。そのうちの1本は昭和30年代前半を時代背景にしており、同時代の日常生活における人と人との温かい触れ合いとともに、インフラが未整備な不便かつ不衛生なまちのありさまが懐かしく偲ばれた。
未舗装の道路では目を開けていられないほどの砂埃(ぼこり)が立ち、ひとたび雨が降れば、通行人は水たまりを避けながら滑らないように歩くだけでも苦労をしてしまう。家屋も今と比べようもないほど安普請で、雨漏りがすれば洗面器で受け止めるしか術(すべ)がない。無論、便利な電化製品などは一般家庭にほとんど普及していなかった。
あれから半世紀を超える時が経過し、生活における利便性の向上は著しく、まるで別世界にいるようだ。ただ私は時折、将来的にこれ以上、飛躍的に便利になる必要は果たしてどこまであるのだろうかと考えてしまう。機械に頼り切って暮らしにおける手作りの創意工夫が薄れ、年中室温をコントロールした快適な空間でのみ時を過ごし自然と触れ合う機会が極めて乏しくなるとすれば、それは人類の進歩ではなく、退歩と言うべきではないだろうか。
現在の先進国における生活水準あたりでもう十分ではないかと思うのは私のみなのだろうか。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成26年11月5日号掲載)
第244号 日本再生をアピール
10月10日は、1964(昭和39)年東京オリンピックの開会式からちょうど50周年の記念日だった。当時、私は小学校6年生で大阪に住んでいたが、半世紀前の出来事を昨日のことのように懐かしく想い起こす。開会式は土曜日で、あいにく塾に通う日だった。塾が終わって、開会式見たさに全速力で家に帰ったことを覚えている。
日本は60年大会の招致失敗後、背水の陣で立候補した64年大会でようやく開催地に選出されたわけだが、決定後の国を挙げての高揚感は、子ども心にも誇らしく感じられたものだ。それにしても、その決定が59(昭和34)年であったことを知るとき、高度成長前の一介の発展途上国をよくぞ選んでくれたものだと思わざるを得ない。
ただ、そのようないわば国威発揚期であったから国民が容易に心を一つにできたとも言える。それと比較して2020年大会はどうだろう。半世紀前に比べて、成熟した先進国では統一した目標を掲げにくいのが実情だ。加えて、長年にわたる経済低迷が国全体の活気を失わせていることも否めない。
だが、逆にそれだからこそ、世界最多の参加国を誇るスポーツの祭典を開催する意義が極めて大きいとも言えよう。再生日本の姿を全世界に強くアピールする意味においても。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成26年10月20日号掲載)
第243号 恵まれた環境の中で
北京を経由してモンゴルの首都ウランバートルに赴いたのは、今から約20年前の3月のことだった。マイナス20度以下にまで気温が低下する季節のことゆえ、完璧な防寒態勢を整えた渡航であったことは言うまでもない。
出張の目的を果たしたのち、初めて訪れた草原の国を現地の人に案内してもらった。牧畜を生業とする営みは素朴そのもので、自給自足の生活ぶりには感心させられた。ただ、当然のことながら、発展途上国における日々の暮らしは、不便かつ多くの困難を伴うものだった。
たとえば、ウランバートルで仕事を開始した日に、私の付添役の現地機関スタッフが、わずかではあるが約束の時刻に遅れてきた。初日なので仕方なく厳しく注意したが、まだ少女のような面影の女性は、「遅れましたか」と意外そうな表情で答えた。あとから聞けば、朝早く起きて酷寒の草原を2時間歩いてきたそうだ。彼女の腕に時計が無いことにふと気付いたとき、私は一抹の後味の悪さを覚えた。
今顧みて、厳しい環境が人づくりに及ぼす利点も感じざるを得ない。そして、大相撲におけるモンゴル勢の不屈の闘志を目の当たりにするときには、どうしても、わが国における子どもたちの育て方の難しさを考えてしまう。不便な生活に後戻りさせることができないだけに。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成26年10月5日号掲載)
第242号 諸外国との触れ合いの中で
先日、アラブイスラーム学院(註)の新学院長が着任のご挨拶に来られた。
2002年のサッカー日韓ワールドカップ開催時に、サウジアラビアチームが調布をキャンプ地に選んだことを起点に始まった同国とのさまざまな交流が現在も続いている。同学院には、毎年調布市内の小中学生を受け入れていただき、中東の文化、言語や日常生活などを教えてもらっている。子どもたちの国際感覚を養うには得がたい経験で、これまでに600人を超える児童生徒が参加してきた。
きたる2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催時には、世界各地からどれほど多くの人達がわがまちを訪れられることだろう。また、その前年に日本で開催されるラグビーのワールドカップと併せ、もしキャンプ地を調布に誘致することが可能になれば、サウジアラビアのように特定国との新たな交流が生まれるに違いない。
調布の子どもたちが、そのような世界中の人々と触れ合う機会を通して、世界に雄飛する夢を心に抱いてくれれば嬉しい限りだ。
海外における留学や勤務は、決して容易なことではないが、困難を克服して将来、グローバルな環境で活躍する人材がわがまちから輩出することに期待を寄せたい。
調布市長 長友貴樹
(註)日本にアラビア語教育とイスラーム文化を紹介する目的で設立された在日サウジアラビア王国大使館附属の教育・研究機関。
(市報ちょうふ 平成26年9月20日号掲載)
第241号 危機意識の共有を
先月、広島市で発生した土石流災害による被害は極めて甚大なものでした。被災された方々に心からお悔やみおよびお見舞いを申し上げます。市民の方からも、復興支援に対する温かい手が差し伸べられております(註)。
あのすさまじい災害の報道に接して、多くの方と同様に私も強い戦慄(りつ)を覚えるとともに、その次の瞬間、当然ながらわがまちの備えの教訓にせねばと思いました。
調布市内で、あれほど激しい土石流が発生することは考えにくいかも知れません。しかし、崖線周辺を含めて土砂崩れの可能性がある地区は存在します。また、以前より治水事業は進展しているものの、河川の氾濫には常に警戒が必要です。平成19年9月に、台風の影響を受け多摩川があと僅か1から2メートルで溢れるまで水量が急激に増大した恐怖を忘れるわけにはいきません。
そのような観点から今後市としては、降水による災害を想定した上で、特に注意を要する地区について危険性の再点検を行うとともに、日頃の備えについての情報提供を強化してまいります。市報、ホームページ等を通じてお伝えするとともに、自治会などに協力いただき注意事項の徹底を図っていきたいと考えます。全市民が危機意識を共有していただくよう改めてお願いいたします。
調布市長 長友貴樹
(註)市では12月26日(金曜日)まで、福祉総務課(市役所3階)で「平成26年広島県大雨災害義援金」を受け付けています。
(市報ちょうふ 平成26年9月5日号掲載)
第240号 ご功績を受け継いで
私が金子佐一郎元市長の訃報に接したのは8月9日の午前中で、ちょうど毎年お邪魔している姉妹都市木島平村の夏まつりに向かう途中でした。
突然のことに、咄嗟には言葉も出ませんでしたが、徐々に悲しみが募ってきます。昨年お目にかかった時も、まだまだお元気そうにお見受けしていたので、俄(にわか)には信じられない思いでした。
金子元市長は泰然自若とした極めて人間的に器の大きな方だったということが、私の心に強い印象として残っております。
そして、時折お会いする際には、慈愛に満ちたまなざしで常に温かい言葉をかけていただきました。あの重厚かつよく通る声で、「いろいろあるだろうけれど頑張りなさい」と仰っていただくだけで、どれほど勇気づけられたことでしょうか。
昭和60年に木島平村との姉妹都市盟約を締結いただいたのも当時の金子市長です。9日が奇しくもその交流イベントのクライマックスであったことに、偶然とはいえ、深い感慨を覚えた方も多くおられたことでしょう。
元市長の市政発展に対する多大なるご功績に深甚なる謝意を表させていただくとともに、心からお悔やみを申し上げます。
そして、その足跡の延長線上に素晴らしいまちを築いていくことをお誓いいたします。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成26年8月20日号掲載)
第239号 とり残されたスクラップ
日頃いろいろな活字媒体に目を通していると、時折その内容によって、特定の誰かに読ませたいと思ってしまう文章があるものだ。
5月の初旬、新聞のある連載記事にふと目がとまった。「ああ、これは読ませてあげたいな」。非常に興味深いストーリーを楽しむうちに、1カ月分のスクラップが月末に出来上がった。その後、すぐに送ればよかったのだが、6月に入るや否や、にわかに尋常ではない繁忙生活の中に身を置く日々となっていった。その間、早く送付しなければと、たまに気にはなっていたのだが、結局手つかずのままに数週間が経過してしまった。
嵐のような喧騒状態から解放されて、ようやく一呼吸つけるようになったのは、すでに7月も半ばを過ぎるころ。そして、はっと気がつけば机上には、永遠に行き場を失ったスクラップがポツンと残されていた。まさに後悔先に立たずというわけで、残念な思いがひとしお募ったが、今さらどうすることもできない。
ただ、自責の念にさいなまれる時、立場を変えて強く思いあたることがあった。私は日常、市内外の方からさまざまな資料や情報をいかに多く送付いただいていることか。
ご多忙の中で市政に協力いただいている皆様に、改めて心から感謝申し上げます。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成26年8月5日号掲載)
第238号 魅力ある首都の形成に向けて
先月、某大学の依頼を受け特別講義を行った。大学の授業については以前、今回とは異なる学校で3年ほど国際関係論の非常勤講師を務めた経験があるが、それはもう20年以上前のことで、多少の緊張感を抱きつつ久々の教壇に立った。テーマについては地方自治の問題点に関し自由設定とのことだったので、考えた末に「今世紀の東京のあり方」とさせてもらった。
まだあまり声高な議論には至っていないが、東京都のある調査によれば、今世紀末に都の人口が現在から半減近い713万人にまで落ち込むと予測されている。そうなれば、当然生産年齢人口(註1)は急減するが、他方、高齢化率(註2)はその間も上昇の一途を辿り21世紀末にはなんと45パーセントにまで達するとされる。そして、もし推定通りなら、その過程で事実上、自治体経営は崩壊すると危惧する向きもある。
そうさせないためには、なんと言っても人口減に歯どめをかけるための国の思いきった施策が必要となるが、並行して東京都および都内各市区町村にも、魅力ある首都の形成に向けたオール東京的視野の政策立案が強く求められることになる。
今月8日には、全国約1,800市町村の半分が2040年には存続困難とのショッキングな人口推計も発表された(註3)。対策の検討はもう待ったなしだ。
調布市長 長友貴樹
(註1)15歳から64歳まで
(註2)65歳以上の高齢者の総人口に占める割合
(註3)民間の有識者らでつくる「日本創成会議」(座長・増田寛也元総務相)のまとめ。存続困難な予測には東京都の自治体も含まれる。
(市報ちょうふ 平成26年5月20日号掲載)
第237号 後悔先に…
新年度に入って、外部のある会議に出席した。すると、構成員である委員の顔ぶれがかなり変わっていたので、まずはご挨拶させていただく。メンバーが変わることについてはあらかじめ説明を受けていたものの、改めて新メンバーにお会いして、それぞれの方がどのような人となりで、会議の議論が今後どのように変化していくのだろうかと漠然とした思いを抱く。
それとともに、以前の委員の方たちとはかなり長い間ご一緒させていただき、そのうちの何人かとは会議の場以外でもご交誼いただいていたので、もう頻繁にお会いすることが無くなるかと思うとやはり一抹の寂しさを禁じ得なかった。
そんなことを思いながら周囲を見渡す時、委員だけではなく会議の運営に多大なる貢献をいただいていた事務局の職員も相当入れ替わっていることに初めて気付く。そうか、そこまでは旧年度中には分からなかったな。ただ、あれだけお世話になったのだから、異動が分かっていれば皆さんにご挨拶しておきたかったとしみじみ思う。社会生活も40年近くになるのだからもう少し気をつけておけば良かったと、わが身の迂闊(うかつ)さに恥じ入る。
一期一会と月並みな表現だけでまとめる気は無いが、年度の切り替え時期はいつもそこはかとなくもの悲しい。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成26年5月5日号掲載)
第236号 是非ともご参加を
早いもので、東日本大震災からすでに3年余りが経過した。被災地の復興はまだまだ十分に進展したとは言い難い状況であり、今後とも我々ができる支援を継続していく必要がある。
それとともに、首都圏においても、直下型地震の発生に対する懸念が一層強まっており、調布市においてもさまざまな観点における備えを充実させていくことが差し迫った課題となっている。
そのための方策として、市は昨年度、地域防災計画を修正した。そのポイントは、災害時の要援護者および女性や乳幼児への対応、帰宅困難者への支援、医療救護体制の構築、放射性物質対策などであり、一人でも多くの市民の方に一読していただきたい。(註)
それとともに、是非とも参加をお願いしたいのが、毎年4月の第4土曜日に実施している「調布市防災教育の日」における市内各公立小中学校での取り組みだ。その内容は、午前中が子どもたちに対する命の尊さを考える授業、保護者・地域への防災意識啓発講話、震災時対応シミュレーションの検証。そして、午後が避難所運営訓練などとなっている。
4月26日にお子さんとともに学校を訪れていただき、親子で日頃の防災意識や装備の大切さを再確認いただきたく存じます。
調布市長 長友貴樹
(註)問い合わせ 総合防災安全課電話481-7346
(市報ちょうふ 平成26年4月20日号掲載)
第235号 このまちに住んで
3月末から一気に気温が上昇し始めて、いよいよ本格的な春の訪れが感じられるようになってきた。多摩川の土手を散策しながら、頬にあたる風の心地よさを感じるだけで、何かその日一日が爽快に過ごせるようなそんな思いに包まれる。
その多摩川の河川敷では、常に多くの市民がスポーツなどで良い汗を流しておられる。振り返れば私も、何年か前まではソフトボールの試合や練習で頻繁にここを利用させていただいた。そんな日々を思い起こしつつ、ふと指を折って数えてみる時、あることに気が付いた。そうか、調布市に住んで今年でちょうど20年になるのか。
23区内から妻子とともに移り住んですぐ、多摩川、野川や深大寺周辺の景観などに触れて心癒される思いを強く抱き、ああいいところに住むことができたな、と実感したことを昨日のように覚えている。それに加えて、春には野川の桜ライトアップ、仙川の夜桜コンサート、夏の大花火大会、秋の各地域における運動会、冬の市民駅伝など感動的なイベントも数多く、1年を通してまちの温かさを常に感じさせていただいている。
今年度新たに市民となられた皆さん、調布市にようこそ。余暇に市内を散策され、わがまちの良さを発見していただければ幸いに存じます。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成26年4月5日号掲載)