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トップページ > 市政情報 > 市長の部屋 > 市長コラム「手をつなぐ樹」 > 市長コラム > 平成24年度 市長コラム「手をつなぐ樹」(第192号から第212号まで)

ページ番号:3518

掲載開始日:2013年3月5日更新日:2013年3月5日

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平成24年度 市長コラム「手をつなぐ樹」(第192号から第212号まで)

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第212号 かつての日本を

 例年同様に年度末のあわただしさに忙殺される中、学生時代および以前の職場の同期生グループからそれぞれ会合の連絡が舞い込んだ。テーマはいずれも同一で、この1、2年以内に仲間がみんな還暦になるので、久し振りに集まろうとのご案内。
 文字通りの「若気の至り」時代を懐かしく想起しながら、振り返ればこの40年の道のりがあまりに短くも感じられ、多少、虚無的な感慨をも覚えてしまう。
 旧友たちは、果たしてこれからどのような人生を歩もうとしているのだろうか。再会を楽しみにしたい。
 また、それ以外の同年輩の友人が二人、今年になってから仕事で海外に赴くことになった。東南アジアのベトナムと中央アジアのウズベキスタン。
 二人とも、駐在を含め外地経験は豊富であり、お子さんがたももう独立しておられるとのこと。だが、それにしても、この歳からの海外勤務は様々な意味で本当に大変なことだろう。
 すでに一人はベトナムに赴任し、先日現地から近況を報告してくれた。「日本の高度成長に向かう昭和30年から40年代のうごめきを感じ、本当に興奮します」。続けて、ベトナム人の心根の優しさに感動したエピソードも紹介されている。彼らの今後の活動に心からのエールを送りたい。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 平成25年3月5日号掲載)

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第211号 淋しさはあろうとも

 朝起きようとした時、喉がかなり痛いことに気づく。その瞬間、まずいなと思った。週末ではあるが、複数の仕事が予定されている。
 幸い土曜日なので、病院は開業日だ。すぐに伺おうと思った。9時前に着き、ほどなく診療を受ける。やはり喉の腫れからして、その日のうちに高熱が出るおそれがあるとの診断。薬局で薬をもらい帰路につきながら、申し訳ないがいくつかの仕事について代行をお願いせざるを得ないなと考えた。スポーツや教育関係の行事は楽しみにしていたので残念ではあったが、こじらせるわけにはいかない。
 結局、運よくインフルエンザでもなく、夕方までに症状も治まった。ご迷惑をおかけした関係者の皆様にお詫びを申し上げるとともに、体調をお気遣いいただき感謝申し上げます。
 ただ、思い起こせば体調の問題で欠席したことは、ひょっとすると10年以上の間に一度も無かったかもしれない。今までが幸運だったと言えようが、当然のことながら、今後も体調管理にはくれぐれも気をつけようと改めて思った。
 そして、分かっていたつもりではあるが、やはり10年前と比べて無理がきかなくなっている現実をいやが上にも意識する。一抹の淋しさは否めない。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 平成25年2月20日号掲載)

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第210号 過酷環境の中で

 もう30年以上前のことになる。アルジェリアの首都アルジェで開催された国際見本市に日本館の現地担当者として派遣されたのは、結婚して半年足らずの1982年夏だった。
 北アフリカの灼熱(しゃくねつ)の太陽の下、1カ月に及ぶ出張は予想通り過酷を極めた。今は多少改善されたのだろうが、当時の生活インフラは本当にお粗末で、首都においても、たとえば停電などは日常茶飯事。また、不衛生な生水はもちろん飲料水には適さず、常に水道の水を一度沸騰させてから使うのだが、長期にわたり断水した時には困り果てた。最後の手段として、バスタブに溜めておいた水を水面のほこりを息で吹き飛ばした瞬間にさっとすくって煮炊きに使用したが、あまり思い出したくない。
 政府機関に勤務した26年間に、最貧国を含めてさまざまな国に仕事で赴いた。そして、グアテマラで、モンゴルで、アゼルバイジャンで、本当に世界中で、日本の国益を守るため、もしくは途上国の発展を手助けするために、多くの日本人が商社マン、エンジニアや海外協力隊員として、極めて劣悪な生活環境の中で必死になって活動している姿を目の当たりにしてきた。
 そのような経験からも、今回、大惨事の報に接し言葉もない。心からお悔やみを申し上げます。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 平成25年2月5日号掲載)

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第209号 新たな感動の年を迎えて

 年が明けて、気持ちも新たに諸事業への取り組みを開始した。
 京王線の地下化が完成し、ハード面のまちづくりも次のステージを迎えている。調布等3駅に駅前広場が出現することを始め、複数の開発事業が進行していく。全工事竣工までまだ数年を必要とするが、夢のある諸計画を着実に進展させていきたい。また、新ごみ処理場では4月の本稼働を目指して試運転が順調に続けられている。
 そして、9月末からはいよいよ国体および全国障害者スポーツ大会が味の素スタジアムをメイン会場として開催される。開会式などを中心に、なんとしても子どもたちに大きな感動を与えたいと念願しており、重ねて全市民の皆様にご協力をお願いしたい。
 そのような展望を抱きつつ、すでにいくつかの年頭行事を終えることができた。1月13日の消防団出初式は、好天の中、多数の市民参加のもと素晴らしい催しとなった。かつ列席された消防総監から直接消防団に特別優良表彰を授けて頂いたことは、市にとってもこの上ない名誉であった。また、翌日の成人式はあいにくの大雪に見舞われたものの、つつがなく挙行された。式典後、雪による事故などは無かっただろうか。改めて、新成人の皆さん、本当におめでとう。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 平成25年1月20日号掲載)

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第208号 深い感謝とともに

 11月30日、第4回市議会定例会の初日、議会で全会一致の承認をいただき、東つつじヶ丘在住の医師、山田禎一氏を調布市名誉市民として顕彰させていただきました。市制施行以来58年目で3人目の対象者となります(註)。
 山田先生は、大正14年に富山県北加積村野町(現在の滑川市)にて出生され、金沢大学医学部をご卒業の後、昭和32年に調布市で山田病院を開設されました。その後、多くの医療および福祉施設を創設され現在に至っておられますが、特に昭和47年に開設された市内の創造印刷は、わが国初の精神障害者授産施設として、その社会貢献が全国的に極めて高く評価されています。そして、それらの業績により、今年度すでに名誉都民の称号を受けられました。
 今回の顕彰に臨み、改めて先生の長年のご功績に敬意を表させていただくとともに、深く感謝申し上げる次第です。しかし、その間の道程は決して平坦なものではなかったと拝察申し上げます。半世紀以上、毎年の年末を先生はどのような感慨で過ごされてこられたのでしょう。
 私は19回目ですが、皆様方は調布に居住されてから何回目の年の暮れを迎えられますでしょうか。新たな年におけるご多幸を心からお祈り申し上げます。

調布市長 長友貴樹

(註)昭和55年に元市長の本多嘉一郎氏、平成20年に漫画家の水木しげる氏に名誉市民の称号を贈りました。

(市報ちょうふ 平成24年12月20日号掲載)

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第207号 新たなスタートに臨み

 私は昭和27年生まれだ。したがって、物心がついたのは昭和30年代前半。当時、わが国は今と比べようもなく本当に貧しかった。下水道は無く、未舗装の道は水溜りだらけで、停電は日常茶飯に発生した。
 それが、小学校から中学校にあがる頃、昭和40年代に入り高度経済成長の波に乗り電化製品や自動車の普及が一気に進み、日常生活が急速に便利になるにつれ、人々は徐々に豊かさを実感していくことになる。たとえば、小学校の高学年の頃だったか、わが家にダイヤル式の電話が設置された時の興奮を今でも忘れない。
 一世代を約30年として、何世代かに1回、特に大変な世代があるとすれば、日本の近代では、大正年間およびその前後に出生された世代ではないだろうか。大正生まれの男性のうち、戦死された方の割合は何と7分の1以上だという。そして無事に復員された後も、日本の復興および成長のために、身を粉にして働き続けてこられた。その筆舌に尽くし難いご苦労のお蔭で、私たちの世代は大きな恩恵を享受することができた。
 今年で私も暦が還る年齢になり、改めて深く先人に感謝申し上げるとともに、後世の世代に対し果たさねばならない責任を当然ながら強く自覚している。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 平成24年12月5日号掲載)

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第206号 あの日のチームを見るごとく

 久し振りに、PTA連合会の小学校対抗ソフトボール大会を拝見した。4ブロックに分かれた予選を勝ち抜いた8校による決勝トーナメント。さすがに11月も中旬となり、加えて朝からの曇天とくれば、観戦しているうちにすっかり身体も冷え込んでくる。外出時に不要かとも思ったのだが、グラウンドコートを持参して本当によかった。
 試合は、その肌寒さを吹き飛ばすかのような、手に汗を握る熱戦の連続で1時間の試合時間が短く感じられるほどだった。私は、全チームの健闘を祈りながらも、以前チームの一員であった布田小学校の試合がどうしても気にかかる。同チーム結成から、はや17年にもなるのか。
 初練習を行った時は、1週間筋肉痛が消えなかったこと。初めてこの大会に出場した時には、ノーマークのままに決勝まで駒を進めたが、優勝は叶わなかったこと。その翌年だったか、上ノ原小学校近くの公園で石原小学校と死闘を繰り広げたことなど、さまざまな思い出が走馬灯のように脳裏に浮かんでは消えていく。
 布田小は残念ながら、今年も覇権を手にすることはできず、3回目の準優勝に終わった。3連覇の富士見台小学校、最終回2アウト満塁フルカウントで投げきった沈む球、お見事でした。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 平成24年11月20日号掲載)

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第205号 調布の子どもたちにも

 もう来年の東京国体まで1年を切っている(註)。
 開・閉会式会場を有する自治体として、来年の参考とするべく今年のぎふ清流国体の開会式を見学させていただいた。会場となった岐阜メモリアルセンター長良川競技場は3万人の大観衆で埋め尽くされ、式典開始前に岐阜県をアピールするさまざまなアトラクションが続いた後、いよいよ全国47都道府県選手団の入場となった。
 競技場トラックの第4コーナー横から入場してきた各選手団は正面のロイヤルボックス前で臨席された天皇、皇后両陛下に敬意を表した後、場内を半周して整列するわけだが、第1コーナーに差し掛かった時、ひときわ大きい歓声がとどろいた。見れば、第1・第2コーナーの間の観客席に大勢の小学生が陣取り、大きな横断幕で熱狂的に遠来の選手団を応援しているではないか。「頑張れ、北海道」、「東京ファイト」などと。子どもたちの心温かい歓迎ぶりにスタジアムは大きな感動に包まれた。
 次期国体は当然、東京都が企画運営を担当されるわけであり、現時点ではどのような内容になるか分からない。ただ、全国の皆様に思いが伝わる、そして、特に子どもたちにとって生涯の思い出となるような開会式を心から期待したいと思う。

調布市長 長友貴樹

(註)スポーツ祭東京2013(第68回国民体育大会・第13回全国障害者スポーツ大会)は平成25年9月28日(土曜日)から10月14日(祝日)まで開催される。調布市の味の素スタジアムで、開会式・閉会式とサッカー、陸上競技が行われる。

(市報ちょうふ 平成24年11月5日号掲載)

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第204号 遠い昔の

 私は、子供時代を過ごした大阪への郷愁もあり、お好み焼きやたこ焼きなどのいわゆる「粉もん」が大好きだ。さまざまなイベントの模擬店でそれらを口にすることも多い。
 先日も、そのような機会に買い求めようとして列に連なったところ、私のひとり前に野球帽をかぶった小学生とおぼしき少年がいた。彼は売り子の青年に質問している。「これしかないんですか」。たこ焼きの定価は、6個400円と書かれている。青年はきわめて丁寧に答えた。「それしかないんですよ」。それを聞いて少年は、あらためて手のひらに握りしめた小銭を数えていたが、明らかに足りないようだ。それでも残念そうに、もう一度視線をたこ焼きに投げかけてその場を離れた。2、3個なら買えたのかもしれない。
 自分の番になった私は、反射的に注文していた。「2つください」。彼の姿はすぐに見つかった。そして、「1つどうぞ」と言おうとしたのだが、喉まで出かかったその言葉を飲み込んだ。彼は常日頃、見ず知らずの人間から食べ物をもらうことなどは親に固く禁じられているに違いない。咄嗟(とっさ)にそう思った。
 私には、いたいけな彼の姿が思わず遠い昔のわが子にダブって見えた。ただそれだけのことだったのだけれど。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 平成24年10月20日号掲載)

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第203号 お帰りなさい秋元さん

 8月から9月にかけて開催されたロンドン・パラリンピックも、オリンピック同様、多くの感動を世界中に与えて閉幕した。
 先にお知らせした通り、同大会にはボッチャ(註)に調布市の秋元妙美さんが日本代表選手として出場された。
 団体戦で日本は、予選で香港およびスペインを撃破し決勝トーナメントに進出したものの、準々決勝でポルトガルに敗れ、7位入賞と惜しくもメダルにはあと一歩で手が届かなかった。しかし、出場各国の実力が拮抗する中で入賞を果たしたことは大健闘と言える。ちなみに、昨年のワールドカップにおいて、日本は見事に銀メダルを獲得した実績をすでに有する。
 9月16日に、あくろすホールで催された帰国報告会では秋元さんの晴れ晴れとした笑顔がとても印象的だった。介添え役を務めた弟さんも出席されて、終始和やかな雰囲気の素晴らしい会だったことをご報告したい。
 また、渡航の資金集めにもご苦労があったと聞くが、今回「オール調布」とでも言うべき支援の輪が市内全域に広がったことは特筆に値すると言えよう。
 秋元さんの今後の活動は来年の第13回全国障害者スポーツ大会への出場を含め未定とのことだが、さらなる活躍を期待し、応援を続けていきたい。

調布市長 長友貴樹

(註)運動能力に障害のある方に向けて考案された、目標球にボールを投げ合って得点を競うスポーツ競技。

(市報ちょうふ 平成24年10月5日号掲載)

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第202号 秋の訪れを前に

 まだ暑い。やはり今年の残暑は例年より少し厳しいのかもしれない。9月半ばでまだ最高気温が連日30度を超えているのだから。
 そのせいばかりではないのだろうが、昼間炎天下にいるとそれだけで多少疲労を覚えるように感じる。いつからだろう。今年が初めてではないようにも思われるが。
 もちろん、もう若くないことはとっくに意識している。あらゆる意味で年々無理がきかなくなっているし、そのことをことさら残念に思う気持ちも少しずつ薄れてきているように感じられる。ただ、それは完全に人生の黄昏(たそがれ)に直面するというほど大袈裟なものではないが。
 10年ぐらい前までは時折勢いに任せて暴飲暴食をしたものだ。就寝時刻も現在は11時台前半あたりだが、都心に通うサラリーマン時代にはその時刻にまだ帰宅していない日も多かった。環境が変化する中で、知らず識らずに自重するようになってきた。
 それとやはり、現在の職責が日常さまざまな面で抑止力を生じさせていることも否めない事実だ。厳しい人間ドックに通うようにもなったし、身体には良かったと思う。
 いずれにしても、さわやかな季節は目前。体調を万全に整えて秋の陣に臨みたい。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 平成24年9月20日号掲載)

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第201号 まちづくりの新たな出発点

 8月19日は、午前3時過ぎまで京王線の地下化切り替え工事を見守っていた。
 荒天にならずに本当によかったが、午前1時前に終電が通り過ぎた直後に開始された大作業はまさに神業ともいうべきものであった。平たく言えば、地下から地上への開口部(柴崎から国領、調布から西調布および調布から京王多摩川間の3か所)において地上のレール敷設面を一部撤去して掘割り構造とし、地下鉄化を図るものだが、レールを焼き切りクレーンで枕木ごと次々に吊り上げるさまは誠に壮観だった。
 そして、午前10時前には予定通り、地下化後の一番電車が3方向からトンネルに進入したわけだが、電車が地下に潜り、また地上に出た瞬間、車内は大きな感動につつまれた。約8年の工事期間は今となれば短くも感じられるが、それなりにいろんなことがあった。まして、調布で生まれ育った方々の感慨はいかばかりだろうか。
 それにしても、踏切が一夜にしてただの道路になるというのは妙なものだ。また、時にいらだった警報機の音も、もう永久に聞こえないかと思うと一抹の寂しさを覚える。ただ、必要以上に感傷に浸っている暇(いとま)はない。駅前広場など、今後のまちづくりを加速させていかなければ。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 平成24年9月5日号掲載)

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第200号 2020年の五輪開催地は?

 ひと夏の夢の祭典、ロンドン五輪が閉幕した。約2週間半の期間中、26競技302種目に熱戦が展開され、日本は金メダル7個を含め史上最多の38個のメダルを獲得するなど好成績を収めた。数え上げたらきりのない名場面が次々に脳裏に浮かんでくる。その間、寝不足で日常生活に多少支障が生じた事はまあやむを得ないとしよう。
 今月末からは、同じくロンドンでパラリンピックが開催される。ボッチャ(註1)に出場する調布市民の秋元妙美さんを始め、全選手の活躍を応援したい。
 それにしても、最後まで全力で戦う選手達の姿には感動させられる。そして、その感動を身近に経験することの意義は極めて大きいと私は思う。50代以上の日本人であれば、1964(昭和39)年の東京五輪を生涯忘れることはないだろう。
 東京は今、2020年の五輪開催地に立候補している。一説には東京とイスタンブール(トルコ)の争いとも言われる(註2)。
 高度成長から幾星霜(せいそう)、目標喪失感の漂うわが国において、全国民が心を一つにするためには、五輪開催の求心力が有効ではないだろうか。その他、プラスの経済効果および、子や孫に実際に目(ま)の当たりにする大きな感動を与える観点からも東京開催を望みたいと思うのだが。

調布市長 長友貴樹

(註1)白いボール(目標球)に赤と青のボールを投げ合い、いかに近づけるかを競う競技(市報ちょうふ2012年8月20号5面に関連記事掲載)。
(註2)2013年9月7日にアルゼンチンのブエノスアイレスで開かれる第125回IOC総会で開催地が決定される。

(市報ちょうふ 平成24年8月20日号掲載)

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第199号 深い喪失感の中で

 考えてみればこの10年間に、「新選組」や「ゲゲゲの女房」の放映、またFC東京や皇風(きみかぜ)関の活躍など、我々は幸運にも調布市をPRする多くの素材に恵まれた。その好機を逃すまいと、市を挙げてさまざまな事業に積極的に取り組んできたのだが、先日、それらの業務の中核メンバーの一人であった職員が病魔に侵され不帰の人となった。まだ50代になったばかりの若さで。
 彼とは、よく企業や団体訪問をしたものだ。夕方、仕事が一段落して、心地よい疲れを全身に感じながら二人で飲んだビールの味は格別だった。話題は私的な内容にも及び、当時中学生だったご子息がテニスで好成績を収めていることに触れた際の、目を細めた彼の本当に嬉しそうな顔を今でも鮮明に覚えている。
 その一人っ子の息子さんも立派に成長されて、今は大学生となられている。しかし、それだけに、社会に巣立つ日をどれだけ楽しみにされていたことだろうか。生前、奥様には、なんとしてもあと2年は頑張りたいと洩らされていたそうだ。その心情、まことに察するに余りある。
 立派な礎石を築いて彼は静かに旅立ってしまった。さわやかな余韻を残して。今はただ、深い喪失感の中で、彼が丹精こめた事業をより大きく育てていかなければと思うばかりだ。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 平成24年8月5日号掲載)

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第198号 長くて早い10年間

 「市長、今月で10年ですね」。ある市民の方からそうおっしゃっていただいた。
 そうなのだ。今月21日で市長就任後、丸10年が経過したことになる。そのことを自分自身では当然のことながら意識していたが、記憶に留めていただいたとは誠に有難く、その方には心からお礼を申し上げた。
 「十年一日(いちじつ)の如し」と、「十年一昔」は相反する意味とも言えようが、10年という期間は一つの感慨を持ってさまざまな環境の変化を振り返る時間的単位とされることが多い。私にとってこの10年間はと、あらためて想い起こす。
 以前の職場には26年間勤めたとはいえ、従事する業務は数年ごとに国内外問わず脈絡なく変わっていたので、それに比べると、同種の仕事を継続してきたこの10年間という期間が長く感じられることは確かだ。しかし、他方その歩みは極めて早かったとも言える。直面する課題に絶え間なく対峙(たいじ)する中で、あっという間の時間の経過だったという印象が強い。
 矛盾するような言い方で恐縮ながら、それが率直な気持ちだ。そして、多くのご支援のおかげで、ここまで進んでこられた。
 それらに深く感謝いたしつつ、皆様、今後ともよろしくお願い申し上げます。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 平成24年7月20日号掲載)

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第197号 休載させていただきます

 早いもので、この市長コラム欄を担当させていただいてからまもなく10年になります。200回近く拙文をお読みいただいた市民の皆様には心から感謝申し上げます。私としては、その間、記述した内容について多くの方からさまざまなお便りもいただき、大変有難く存じております。
 10年前、私は本欄の執筆を開始するにあたって、参考までに、他の自治体の同様の欄における各首長の記載内容を数多く拝見しました。その結果、それらの多くが市報の他の記事(市が取り組む事業や市内で開催されたイベントの紹介)と同じような記述であることを知るところとなりました。そしてその時、もし私が担当させていただくのならば、一般の市長コラムとは多少異なるかもしれないが、もう少し市長である自分の姿を知っていただくような内容も盛り込んでいきたいと思った次第です。
 それは、日常親しくお話する市民の方の数が極めて限られるからです。どうでしょうか。私が名前を存じ上げて会話をさせていただいた市民の方はこの10年間ではたして22万人中1000人に及んだでしょうか。それゆえに、私はこのコラムを通じて、現在に至るまで人生の折々に感じたことなどにつき、ときにわが生い立ちにも触れながら語らせていただき、自分自身の思いを少しでも多くの市民の方に知っていただきたいと念願してまいりました。
 また、私の記述は、必ずしもその時々の市政に関係のない、他愛ない内容も含んでおります。それは、この閉塞(へいそく)感に覆われる時代だからこそ、ときにほのぼのとするようなエピソードを投げかけさせていただきたい。加えて、まちの様相が一変する今だからこそ、この調布に自分が子供時代を過ごしたまちをなぞらえて、昭和30年代頃までの高度成長以前の日本に感じるそこはかとない郷愁の念を語らせていただきたい、と思ってきたからです。
 しかし、議会においてある議員からそのような姿勢にご批判を受けました。「貴重な市報の1面は市政情報を優先すべきである」。また、「市政に直接関係ないことについて、しかも、ときにエッセイ的に記述することはいかがなものか」、などのご指摘です。
 ついては、誠に恐縮ながら現在の市長コラムに関する賛否のご意見を皆様にお伺いさせていただきたいと存じます。執筆開始時から、批判を受けた際には市民のご判断を仰ごうと自分では決めておりました。その結果、少なくとも7割のご賛同が得られなければ、この「手をつなぐ樹」の欄を廃止させていただきます。本号発行後、1カ月以内にご意見をお寄せいただければ幸いに存じます(註)。何卒よろしくお願い申し上げます。

調布市長 長友貴樹

(註)7月20日(金曜日)(必着)までに、恐縮ながら氏名、住所を記載の上、
郵送(市役所市民相談課宛)、ファクス(042-441-1199)、
もしくはEメール(mail001@city.chofu.tokyo.jp)にてご意見をお寄せ下さい。

(市報ちょうふ 平成24年6月20日号掲載)

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第196号 お詫び申し上げます

 すでに一部新聞にても報道されておりますが、市役所内における不適切な経理処理の存在が続けて明らかになりました。
 その内容は、1件目が郷土博物館において、定期刊行物の発行がなされていないにもかかわらず、業者に印刷代金が支払われていたというものです。担当者は、別の業者に対し私費により同刊行物の作成を遅れて依頼しておりました。公金については、当初依頼した業者から市側に返納がなされており、着服はなかったと判断し、5月14日に関係者の処分を行いました。
 2件目は、スポーツ関連事業の諸支払いに関して、手続きが遅延したために担当者が公金支出をせずに私費により約105万円の支払いを行ったものです。これに関しても、公金着服の事実はありませんでした。その他の部署においても全庁的に徹底した調査を行っており、その結果は速やかに公表いたします(註)。
 いずれにいたしましても、公金の取り扱いについて大変申し訳ない案件が複数発生したことにつき、行政の責任者として市民の皆様に対して心からお詫び申し上げますとともに、今後、同様の不祥事を二度と引き起こさないための態勢整備に全力を尽くすことをお誓い申し上げます。

調布市長 長友貴樹

(註)5月29日現在、環境関連部署にても不適切案件が判明し、その内容を精査しております。また、市としての処分内容と謝罪を「市報ちょうふ6月5日号」3面に掲載いたしました。

(市報ちょうふ 平成24年6月5日号掲載)

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第195号 「防災教育の日」を終えて

 先日来、ご案内してきた通り今年から制定された「調布市防災教育の日」(4月の第4土曜日)である4月28日に、市内28公立小中学校において一斉の防災教育および防災訓練が実施された。学校関係者ほか多くの皆さんの協力のもとに実現が可能になったもので心から感謝申し上げたい。本当に有難うございました。
 当日の参加者は、児童・生徒1万3817人、保護者1万223人をはじめ協力者を含めて約2万7000人にのぼった。そして、午前中は災害発生想定時刻の11時24分まで保護者や地域の方の参観のもとに「命」の大切さに関する授業等の防災教育を行い、それ以降は調布市防災行政無線の放送を合図に児童・生徒の避難訓練と避難所開設訓練からなる防災訓練を行った。
 昨年の東日本大震災の発生を受けて、全国の自治体は危機管理態勢のさらなる強化に向けてさまざまな対策を講じているが、調布市はその一環として避難所の望ましいあり方を今後とも徹底的に追求していきたいと考えている。
 そのために、今回の訓練により浮き彫りになった課題につき可及的速やかに改善を検討していく。それは、当然ながら子ども達のみならず地域全体の安全確保を目指すもので、今後、分かり易くご説明申し上げたい。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 平成24年5月20日号掲載)

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第194号 常に必要な対策を

 先月、東京都の防災会議地震部会が、都における大地震の被害想定を公表したことは皆様もご存じだろう。
 その数字を見て少し驚いた。それは、多摩地域の26市3町1村すなわち30自治体ごとの被害状況の分析の中で、多摩直下地震による死者数が人口当たりでは調布市がもっとも少なかったからだ。その傾向は立川断層地震においても同様で、人口割の死者数は28位となっている。ただ、今回の想定では諸般の影響を考慮して震源地が厳密には特定されていないこともあり、この結果のみを安易に受け入れるというわけにはいかないが。
 いずれにしても、あらゆる情報を入手した上で可能な限りの分析を行い、常に必要な対策を講じていくしかない。
 本稿は4月28日の全公立小中学校における一斉訓練以前に脱稿しているものだが、市報掲載は訓練後になるので、あらかじめ訓練実施に多大なるご尽力をいただいた、学校関係者を始めとする多くの皆様に心から感謝申し上げたい。
 学校における安全の確保、そしてそのための地域との連携。訓練実施によりあらためて確認できた課題を整理して、さらに態勢を強固なものとするために、継続して教育委員会と共同で全力を傾注してまいります。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 平成24年5月5日号掲載)

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第193号 全国初一斉訓練

 4月28日が近づいてきた。教育委員会は、今年度から4月の第4土曜日を「防災教育の日」とし、全28公立小中学校において一斉に児童、生徒を対象にした防災教育と防災訓練を実施することを決定された(註)。
 その内容は、(1)「命」の授業を保護者・地域への公開により実施、(2)保護者・地域への啓発を目的とした、防災にかかわる講話または講演会等の実施、(3)訓練を通じた「震災時対応シミュレーション」の検証などとなっている。
 昨年の東日本大震災発生以後に、市民の安全確保を目的として公立小中学校を中心に避難所のあり方、特に負傷した方の生死を分けると言われている開設後3日以内の避難所運営の指針を地域の特性も加味して定めたものが、前記シミュレーションだ。その内容をもとに実施される今回の訓練は、地域一体型の防災活動の側面も有している。
 その他、年度を通して小学校6年生および中学校3年生全員を対象とした「普通救命講習」も実施することとしている。
 平時に、首都直下型大地震等の激甚災害を想定して実効ある訓練を行うことは極めて難しい。しかし、今回の新たな訓練を含めて、今年度以降もあらゆる手だてを尽くして全力で態勢の強化に取り組んでいきたい。

調布市長 長友貴樹

(註)市内公立小・中学校で防災訓練を一斉に実施することは全国初。

(市報ちょうふ 平成24年4月20日号掲載)

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第192号 桜を愛(め)でながら

 早いものだ。京王線地下化工事が始まってもう7年半になる。沿線近隣の方を始め多くの市民の皆様に多大なご負担をお掛けしながら、平成24年度末までの完成を目指して工事はここまで継続してきた。それがこのほど、竣工が早まり本年8月には地下化される旨、東京都から公表された。この上ない朗報だ。それに伴い、調布、布田、国領3駅の駅前広場の構築やレールを撤去したスペースの有効利用の検討が進んでいくこととなる。
 あらためて、昭和40年代から現在に至るまで、本計画の達成にご尽力いただいたすべての皆様に心から感謝申し上げたい。
 それにしても、夏の終わりまでには18の踏切が無くなり3.7キロに渡って南北の往来が自由にできると言われても、俄(にわ)かには実感が湧いてこない。長年の感覚というものはおそろしいものだ。でも、それを想像しただけで浮き浮きとした気分になってくる。
 時あたかも春爛漫。明るい日差しに包まれて満開の桜を愛でながら、進展するまちづくりの麗わしい展望を描いてみたい。
 天皇杯を制したFC東京は開幕から3連勝と絶好調。郷土の星、皇風(きみかぜ)関は十両優勝で新入幕が確実。24年度、楽しい話題も共有しながら、「ニュー調布」建設はさらに大きく前進する。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 平成24年4月5日号掲載)

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調布市行政経営部広報課 

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