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ページ番号:3517
掲載開始日:2014年3月5日更新日:2014年3月5日
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平成25年度 市長コラム「手をつなぐ樹」(第213号から第234号まで)
コラム一覧
- 第234号 大雪の教訓(平成26年3月5日号)
- 第233号 「何でも見る」意欲(平成26年2月20日号)
- 第232号 地道な努力こそ(平成26年2月5日号)
- 第231号 幸多き人生を(平成26年1月20日号)
- 第230号 この一年(平成25年12月20日号)
- 第229号 あれから半世紀(平成25年12月5日号)
- 第228号 「心のふるさと」に学ぶ(平成25年11月20日号)
- 第227号 まちの息遣(づか)い(平成25年11月5日号)
- 第226号 感動の余韻を(平成25年10月20日号)
- 第225号 調布で五輪が(平成25年10月5日号)
- 第224号 いざ国体、一生の感動を(平成25年9月20日号)
- 第223号 至福のサプライズ(平成25年9月5日号)
- 第222号 交遊を末長く(平成25年8月20日号)
- 第221号 全力で取り組みます(平成25年8月5日号)
- 第220号 より大きな市民パワーを(平成25年7月20日号)
- 第219号 出迎えの傘(平成25年7月5日号)
- 第218号 さあ、あと100日(平成25年6月20日号)
- 第217号 広い世界へ(平成25年6月5日号)
- 第216号 今後の展開に大きな期待を(平成25年5月20日号)
- 第215号 水木先生に導かれ(平成25年5月5日号)
- 第214号 爽快なれど(平成25年4月20日号)
- 第213号 別れと出会い(平成25年4月5日号)
第234号 大雪の教訓
先月、2週連続で関東地方を襲った記録的降雪が日常生活に及ぼした影響は、都心部から山間地域に至るまで極めて甚大なものだった。
調布市においても、雪の重みによる倒木やビニールハウスの倒壊等農業への被害が発生するとともに、転倒して怪我をされた方もおられ、誠にお気の毒なことだった。心からお見舞い申し上げます。
今回、首都機能の一部麻痺に直面して、改めて不意の災害への対応の大切さと難しさを痛感した。毎年、雪害を覚悟しなければならない地方では日々の備えに対する住民の意識が徹底されていることだろうが、めったに大雪の無い地域ではなかなかそうもいかない。自宅近隣の除雪を行うにしても、スコップの用意はおろか長靴を常備していないご家庭もあったのではないだろうか。また、大雪に見舞われた日には、道路に置き去りにされた車がかなりの数にのぼった。ノーマルタイヤで運転することが危険なことは分かっていても、急な降雪に対応できないケースも数多くあったのだろう。その場に臨んでどれだけ困られたかと考える時、本当に同情を禁じ得ない。
今回得られたさまざまな教訓を今後に生かして、みんなで対策を考えていきたい。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成26年3月5日号掲載)
第233号 「何でも見る」意欲
ソチ五輪における中学生メダリストの誕生は嬉しいニュースだった。そして、あまり緊張感を覚えなかったとの平野君(高校生の平岡君も)のコメントを聞いて、とても頼もしく感じたものだ。現代の若者は物怖(お)じしなくなってきているのだろうか。
しかし、精神的には逞(たくま)しくなってきたかもしれないが、その反面、一般的には内向的になったとの指摘もある。スポーツや芸術などの明確な目的がある人たちを例外として、現代のわが国においては、海外に雄飛しようとする若年層が明らかに減少してきていると言われて久しい。
我々の時代は、子どもの頃からまだ見ぬ外国にそこはかとない憧憬(しょうけい)の念を抱いていたように思う。特に、テレビを通じて初めて知り得た豊かなアメリカの日常生活。オーブンや食器洗い機まで含めた豪華な電化製品や大型乗用車に目を奪われながら、日本の生活水準を少しでも向上させたいと念願したものだ。そして、そのためには先進国を実際に見てみたい、あるいは、かの地で学ぶ機会を得たいと考える若者の比率は今より遥かに高かったと言えよう。
現在の日本の平均的生活水準は、間違いなく世界最上位に位置するまでになった。しかし、今後の国のあり方を考えるためにも、世界を知ることは常に極めて重要だと思うのだが。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成26年2月20日号掲載)
第232号 地道な努力こそ
市川武史投手という名前を聞いて、すぐにその活躍を思い出す野球ファンもおられるだろう。
市川さんは、1980(昭和55)年夏に国立高校が都立として初めて甲子園出場を果たした時のエースピッチャー。前評判がさほど高くなかったノーシード校の快挙は、全国的に大きな話題となったものだ。それだけでもすごいことなのだが、彼は卒業後に一浪を経て、見事東京大学に合格し、神宮のマウンドでも7勝を挙げる大活躍を見せた。
そのような結果だけを振り返ると、多くの人の脳裏には、「天は二物を与えず」と言うが時には例外もあるのか、との羨望(せんぼう)の念だけが生まれてくるかもしれない。
私自身もそのような感想を多少抱いていたことは事実だが、昨年、新聞のインタビューで彼のコメントに触れ、深く感心させられた。市川さんは、「自分のこれまでの人生では、努力をしてもほとんどのことがうまくいきませんでした。しかし、努力をしなければおそらく何一つ成功はしなかったでしょう」と述べておられた。人も羨(うらや)む輝かしい成果を決してひけらかすことなく淡々と、そして極めて謙虚に語られる姿勢に、地道に努力する事の尊さを改めて学ばせていただいた思いだ。
時あたかも受験シーズン。それぞれの目標に向けた全受験生の健闘を心からお祈りします。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成26年2月5日号掲載)
第231号 幸多き人生を
平成26年調布市成人式が、1月13日にグリーンホールで挙行された。
鬼島太鼓の迫力ある演奏で幕を開けた式典には、例年を上回り立ち見が出るほど多くの新成人が出席してくれた。出席者が増えた要因の一つは、式典第2部に調布市出身のボーカルMEMEさんを擁する3人組音楽ユニットのケラケラが出演してくれたことだろう。
また第1部の新成人代表による「二十歳の主張」には毎年のことながら感動した。国領町在住の大沼美奈さんが、これまでの人生を振り返って家族、友人たちに感謝するとともに、将来の夢を語られたのだが、言語明瞭で論旨も極めて明確な素晴らしいスピーチだった。大沼さん、応援していますよ。
さらに、私が会場を出ようとした時、「市長」と呼びかける新成人がいた。その声の主は、香川愛生(まなお)さん。将棋の女流棋士で、昨年10月に見事第35期の女流王将のタイトルを獲得した女流棋界一のホープである。香川さんは、市内の緑ヶ丘小、第八中、神代高校を経て、現在、立命館大学に在学中。小学生時代に一度、市役所を訪問されたことがある。約10年ぶりにお会いでき本当に嬉しかった。香川さんを含め新成人の皆さん、厳しい局面もあるのでしょうが、どうかこれからも頑張って下さい。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成26年1月20日号掲載)
第230号 この一年
今年も残りわずか10日ほどとなりました。
振り返って、とりわけ多くの市民の皆様に感謝申し上げるのは、スポーツ祭東京(第68回国民体育大会および第13回全国障害者スポーツ大会)開催に際しての手厚いサポートです。800人近いボランティアの方々を始めとする協力があって、ようやくわが市に課された役割を果たすことができました。
市の重点的な施策の中では、特にアレルギー問題への対応に全庁一丸となって取り組んできました。昨年のあってはならない悲痛な死亡事故から1年。すでに、教育委員会と連携して種々の対策を講じておりますが、今後とも最善を尽くすことをお約束します。
25年度は、新たな10年間の総合計画がスタートした年でもあります。「みんなが笑顔でつながる・ぬくもりと輝きのまち調布」の実現に向けて、毎年、市の基本的な考え方、および具体的な実施事業を分かり易くご説明させていただきます。
来年は、市制施行60年目を迎えることとなります。新たなまちづくりに向けたハード、ソフト両面の取り組みを着実に前進させ21世紀の調布市の骨格をより明確にしてまいります。
すべての市民の皆様にとって、明年が幸多き年となりますよう、心からお祈り申し上げます。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成25年12月20日号掲載)
第229号 あれから半世紀
1963(昭和38)年の勤労感謝の日、私は朝かなり早く起床した。その日は11歳の誕生日だったのだが、それが早起きの理由ではなかった。11月23日早朝に、日米間初の国際衛星中継(註)の映像がアメリカから送られてくるとのことで、その画面見たさに小さな白黒テレビにかじりついていたのだ。
そして、午前5時半ごろになぜか砂漠のサボテンの画像が流され、事情の分からぬまま訝(いぶか)しく思っていると、次の瞬間、思いもよらぬショッキングなコメントが発せられたのだ。「ただ今、砂漠の映像をお送りしています。どうやら、ケネディ大統領がパレードの途中で何者かに狙撃された模様です」。その後、午前9時の2回目の中継で、約5時間前のケネディ大統領の死去およびジョンソン副大統領の第36代大統領就任が伝えられた。そのため、私にとってケネディ大統領暗殺の期日(米国時間では11月22日)は、生涯忘れられぬものとなってしまった。
あれからちょうど50年。当時5歳だった大統領令嬢キャロラインさんが今回、駐日大使に就任された姿を拝見して、いささかの感慨を禁じ得ない。半世紀の時の流れの中で、果たして国際情勢はあの頃より好転したと言えるのだろうか。東西冷戦という言葉こそ無くなったが、依然として紛争の火種は、世界各地で燻(くすぶ)り続けている。
調布市長 長友貴樹
(註)当時は、宇宙中継と呼ばれていた。
(市報ちょうふ 平成25年12月5日号掲載)
第228号 「心のふるさと」に学ぶ
ご存知のように、現在、三鷹市と共同でごみ処理事業を実施しているが、その運営主体である「ふじみ衛生組合」の視察で先日関西に赴いた。
今回は、大阪府豊中市と三重県鈴鹿市の2カ所の施設を見学させていただき大変勉強になった。視察の主たる目的は、不燃物処理の事業内容および施設の運営方法などを学び、今後のわが方の事業の参考とさせていただくことにあった。民間企業との連携、県境を超えた共同事業、メガソーラー発電事業、埋め立て処分の見通しなど、2カ所において丁寧な説明をいただき、極めて充実した印象に残る視察となった。
ただ、それとともに私には今一つ心に沁みる思いがあった。それというのも、豊中は、私が昭和30年代前半の幼稚園時代から高校まで13年間暮らした、いわば「心のふるさと」だったのだ。大阪市内に勤める人達のベッドタウンとして急膨張した豊中市。昭和30年代半ばに10万人台だった人口がわずか15年ほどで40万人を超え、増加率は日本一と言われた。夏には蛙の鳴き声が安眠を妨げた田んぼも、あっという間に宅地に代わり、長閑(のどか)な風情は一変してしまったが。
喜怒哀楽をともにした旧友たちは今でも同じまちに住んでいるのだろうか。久し振りに訪れれば、やはり胸が痛くなるほど懐かしい。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成25年11月20日号掲載)
第227号 まちの息遣(づか)い
先月、第4回商店会CMコンテストが実施された。
これは、調布市内の商店会が、城西国際大学メディア学部の学生さんと協力して各商店会のPR映像を創作するという試みで、去年までにすでに20本以上の作品が完成している。その中には全国商店街CMコンテストで最優秀賞を受賞するなど高い評価を得たものもある。
今年、趣旨に賛同して参加いただいたのは9商店会。同コンテストは、前回までは15秒間のCM製作だったが、今回からは30秒および90秒の2バージョンとなり、ストーリー性も濃く大変見ごたえのある内容となっている。私も審査員の末席を汚(けが)させていただいたが、いずれ劣らぬ力作ぞろいで、受賞作を選ぶのに大変苦労した。
それとともに、全作品を鑑賞させていただきながら痛感したことがある。それは、「まちのうるおい」とでもいうべき心温まる情感だ。一昔前の情景と言われるかもしれないが、家族団らんの夕餉(ゆうげ)の惣菜を求めるために、割烹着に買物かごをさげて行きかう人々の間をクラブ活動を終えた生徒たちが楽しそうに談笑しながら家路につく。そんな温かいまちの息遣いに、さも触れた思いがして心が和(なご)んだ。商店会の存在を通して、一見平凡に感じられる日々の営みの中に素朴な人生の幸せを見い出したと言えば、大袈裟にすぎるだろうか。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成25年11月5日号掲載)
第226号 感動の余韻を
10月14日、第13回全国障害者スポーツ大会の閉会式が滞りなく終了し、9月28日の第68回国民体育大会の開会式から2週間以上に渡ったスポーツ祭東京2013は無事に閉幕のときを迎えることができました。
本大会の主催者は言うまでもなく東京都でしたが、味の素スタジアムがメイン会場となったために、調布市には地元自治体として極めて大きな役割が求められたものです。
調布市体育協会を始め、貢献いただいた多数の協力者に心からお礼申し上げます。たとえば、大会中にボランティアとして協力いただいた市民が延べ720人、競技の補助員として活躍した市内高校の生徒は87人にも達しました。また、調布市で開催されたサッカーおよび陸上競技を観戦した市内公私立小中学校の児童・生徒数は7896人を数えています。その他、警察署、消防署を含めた関係機関の皆様方、誠にお疲れ様でした。
夢と感動に包まれたさわやかな余韻が、忘れ得ぬ記憶として多くの市民の脳裏に留められることを強く願っております。
そして、次はオリンピック、パラリンピックです。開催は7年後ですが、調布市として各方面に要請していく事項を早急に検討する必要があります。新たな夢と感動に向けて、さらなるご協力をお願いする次第です。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成25年10月20日号掲載)
第225号 調布で五輪が
9月8日(日曜日)午前5時20分、東京商工会議所の大ホールに歓声が轟(ごう)音となりこだました。徹夜の眠気が一気に吹き飛んだ瞬間、正面のスクリーンにはIOCロゲ会長が差し出す1枚のカードが大写しとなり、そこにはTOKYO2020の文字が。
1964年の東京オリンピック当時、私は小学校6年生だった。戦後の惨状から見事な復興を遂げ高度経済成長に向かう時代のわが国は、高揚感の中ですさまじいエネルギーに満ちていた。そして、それを背景に日本がオリンピックを開催することは、子ども心にも大変誇らしく思えたものだ。
同五輪では、アベベ、円谷のマラソンを始め各種競技の思い出も多いが、それにも増して印象的だったのが閉会式だ。各国選手が人種、国籍を超えた大群衆となって肩を組みながら入場してきたときの鳥肌が立つような感動は生涯忘れることができない。まさに世界中の人たちが一体感を共有し、平和の尊さを実感できる瞬間だった。
2020年大会は「コンパクト五輪」とされ、都心の狭いエリアでほとんどの競技が開催されるが、わが調布市は幸運なことに味の素スタジアム(註1)および周辺地域が競技開催地に含まれた(註2)。経済や文化交流において期待される波及効果を今から考えていきたい。
調布市長 長友貴樹
(註1)オリンピックにおける呼称は「東京スタジアム」。
(註2)サッカー、近代五種(射撃、フェンシング、水泳、馬術、ランニング)、自転車ロードレースが実施される予定。
(市報ちょうふ 平成25年10月5日号掲載)
第224号 いざ国体、一生の感動を
待ちに待った東京国体(通称多摩国体)および全国障害者スポーツ大会までいよいよあと1週間となった。
9月28日(土曜日)の国体開会式は味の素スタジアムにおいて、午後3時半からのさまざまなアトラクションの実施後、天皇皇后両陛下ご臨席の下、5時から式典が挙行される。夕闇の競技場周辺を花火が鮮やかに彩る演出も予定されているとのことで、好天に恵まれることを祈るばかりだ。
開会式の入場者数は約4万人と想定されているが、地元市として調布市民が、そのうち4000人近くを占めると期待している(註)。老若男女、多くの市民の皆様に、心ゆくまで国内最大のスポーツイベントの感動を味わっていただきたいと思っている。会場にお越しになれない方もテレビで声援いただければ幸いだ。
そして特に、小中学生を含めた青少年にとって一生の思い出となることを強く願っている。国体は47都道府県の持ち回りで開催されるので、次回の東京大会は約半世紀後になると思われるが、彼らはその次期大会を観戦することも十分可能だ。その時、子どもの頃にわがまちの競技場をメイン会場として開催された2013年大会を深い感慨とともに、懐かしく思い起こしてくれるに違いない。
調布市長 長友貴樹
(註)開・閉会式の観覧者募集はすでに終了しています。
(市報ちょうふ 平成25年9月20日号掲載)
第223号 至福のサプライズ
第31回調布市花火大会も無事に終了した。今年は、全国各地の花火イベントで、豪雨による被害や痛ましい事故が発生したため、事前には多くの方からご心配をいただいた。結果的には幸いにも、時間内に2度ほど大粒の雨が降り注ぎかけて肝を冷やしたものの、大過なく終えることができた。協力いただいたすべての皆様に心から感謝を申し上げたい。
その花火以外に、今夏も数多くの心楽しいイベントに参加させていただいたが、その中でちょっと嬉しいサプライズがあった。
1回目は知人から調布以外の花火鑑賞のお誘いを受けた時のこと。知人宅で、心づくしの晩餐と多くの参加者との会話を楽しませていただき、綺麗な花火に歓声を上げて宴も終焉に近づいたころ、一組のご家族の1、2歳ぐらいの可愛い坊やが、やおら数メートル走って、ソファーに腰かけていた私に突進してジャンプするように抱きついてきた。咄嗟(とっさ)のことで少し驚いたが、その子を膝にだっこして数分あやしながら、至福の時を過ごさせてもらった。
それだけでも有難いところ、なんとそれと同様なことが他市の夏まつりを訪ねた時に再度あったのだ。思い起こして、今でも心和む余韻に浸らせていただいている。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成25年9月5日号掲載)
第222号 交遊を末長く
先日、ある旧友たちとの親睦会に参加した。ベルギー駐在時代に、職場を越えて集まった同年輩の駐在員同士の、言わばベルギー同期会が発足から30年近く経過した今も日本で存続しているのだ。
今回は、会のメンバー全員が駐在時代に等しく世話になった現地の日本料理店の店主が法事で一時帰国するのに合わせ旧交を温めようとの企画で、夏休みの時期にもかかわらず約30名が出席する盛大な集いとなった。
一堂に会すれば、当然ながら1980年代の思い出話に花が咲き、湧き起こる笑いの渦は尽きることがない。当時、我々は皆30代前半で若さに溢れ、充実した気力、体力を武器に仕事及び余暇活動に全力で邁進する中、遠い将来の夢などをほのぼのと語り合っていた。そんなことをなんとも微笑ましく想い起こす。
あれから幾星霜。大半の人間はすでに還暦を迎えた。そして、まだ忙しい仕事に従事はしているものの、あの頃と比較すればやはり表情は柔和になり、好々爺に近づきつつあることが窺(うかが)われる。話題もいつしか、子どもや趣味のことから孫や健康のことに移行してきた。
それにしても、親しい友人の存在はつくづく有難いものだ。献身的な幹事役に心から感謝しつつ、いつまでも交遊を大事にしていこうと思っている。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成25年8月20日号掲載)
第221号 全力で取り組みます
7月23日に食物アレルギー事故再発防止検討結果に関する最終報告書を検討委員会から受領いたしました。
同委員会は、医師、弁護士、学識経験者、お子さんが食物アレルギーをお持ちの保護者、小中学校の校長先生、市の関連部署職員などで構成され、本部会と3つの検討部会を合わせて20回に及ぶ会合を通じて、あらゆる角度から熱心な議論を尽くしていただきました。報告書の内容は、事故防止、緊急対応、給食指導、研修体制及び今後の進行管理について網羅的に指摘するものとなっています。
市としては、ご多忙の中でご協力いただいたすべての関係者の皆様に心から感謝申し上げるとともに、今後、教育委員会と一体となって本報告書をもとに、事故防止に向けての体制整備に全力で取り組んでいくことをお約束いたします。
また、すでに調布市の提案に基づき、全国市長会から本テーマに対する国の取り組み強化を6月までに文部科学省及び厚生労働省に要請いたしましたが、今後とも市として可能な情報発信に努めてまいります。
改めて昨年の事故を思い起こし、万全の体制を確立し得ていなかったことをご遺族及び市民の皆様にお詫び申し上げるとともに、今後のご協力をお願い申し上げる次第です。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成25年8月5日号掲載)
第220号 より大きな市民パワーを
7月10日に第14回地域交流会が開催された。これは、現在市内の小学校区ごとに組織されている13の地区協議会およびさまざまな市民活動団体が、日頃は接触の無い方も含めて広く交流・対話することを目的に計画されたイベントで、150名近い市民の方が熱心に参加して下さった。
午後6時半に会場となったたづくり12階の大会議場に足を踏み入れた途端、まず、その熱気に圧倒されそうになった。会場内ではポスターセッションと銘打って、展示用パネルにポスターや写真等を掲示して各団体の日常の活動が紹介されており、それぞれの組織の中心メンバーが丁寧に説明をしておられた。
そのあと、「調布のまちを大いに語ろう!」と題して、ワールドカフェ形式(註)で、少人数ごとに何回か組み合わせを変えながら、まちづくりに関する自由な意見交換が行われた。
終了後のアンケートの中には、貴重な情報収集の機会であったことを積極的に評価する意見が多数見受けられ、ご苦労された実行委員の皆さんが企図された成果は十分得られたと言えよう。
そして、調布市におけるまちづくりに対する多くの市民の方の熱意、パワーの大きさを改めて痛感させられた思いだ。このような活動を一層、充実・発展させていくために、今後とも一緒に考えさせていただきたい。
調布市長 長友貴樹
(註)決められたテーマをもとに、カフェのような雰囲気の中で、お菓子や飲み物を口にしながら話をする、大人数での対話の手法です。
(市報ちょうふ 平成25年7月20日号掲載)
第219号 出迎えの傘
「あめあめ ふれふれ」の歌、正確には「あめふり」のメロディーおよび歌詞は多くの方がご記憶のことだろう。母親が蛇の目傘で迎えに来てくれることを無邪気に喜ぶ子どもの心情を思い浮かべるだけで、誰しも微笑ましい幸せな感情に包まれる。北原白秋、中山晋平コンビによる名曲だ。
そう言えば、わが幼少期にも傘の思い出はある。小学校低学年の頃だったろうか。当時住んでいた団地のすぐ前、徒歩数分のところにバスの停留所があったのだが、夕方になって急に雨が降り始めた時など、母親に頼まれてよく父に傘を持っていったものだ。自宅に電話もない時分、どうやって帰宅時刻を特定したのか覚えていないが、嬉しそうな父親の顔は今でも脳裏に焼き付いている。傘も今よりは貴重品だったあの時代。修理をして大事に使っていた。
傘が貴重だっただけではない。家庭内の唯一の娯楽は小さな白黒テレビ。また、夏の熱帯夜にタイマーの無い扇風機を止めれば、寝苦しいなどという生易しいものではなかった。
昭和30年代前半、日本全体がまだまだ貧しく、生活は今と比べようもなく不便だった。だが、それだけに家庭内にも社会にも肩を寄せ合う温かみが満ちていたようにも思える。皆さんの思いはいかがでしょうか。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成25年7月5日号掲載)
第218号 さあ、あと100日
6月7日から3日間にわたり開催された第97回日本陸上競技選手権大会を味の素スタジアムで観戦し、その迫力に圧倒されるとともに大きな感動を覚えた。
今大会は、男子100メートル走において日本人初の9秒台の記録が誕生するかに全国の注目が集まり、スタジアムは熱気に包まれていた。息を止めるような緊張感が会場全体にみなぎる中、号砲一発スタートしたレースは、山縣亮太選手(慶大)が、洛南高校3年生、桐生祥秀君の追い上げをかわして初優勝を飾る結果となったが、見ごたえのある素晴らしいデッドヒートだった。
その他、女子短距離の福島千里、1万メートルの新谷仁美、男子ハンマー投げの室伏広治など各選手の活躍に、期間中つめかけた約4万人の観衆は惜しみない拍手を送り健闘をたたえた。私は、それに加えて女子100メートル走の表彰式におけるプレゼンターを仰せつかり、福島さんなどにトロフィー、メダルを授与させていただき感激した。
さあ、次はいよいよ9月28日の国体本番を待つばかり。6月20日はちょうど開会式の100日前にあたる。オープニングを待ちわびて心弾む思いの中で、これからのカウントダウンには、加速度がついていくことだろう。
準備も佳境を迎えた今、多くの皆様のご協力を改めてお願いする次第です。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成25年6月20日号掲載)
第217号 広い世界へ
北米と南米をつなぐ吊り橋のような地域、中米に位置する7つの小国の中にコスタリカという国がある。
20年近く前のことになるが、出張で米国のサンフランシスコ、ダラスを経由して、その首都サンホセにやっと辿り着き、パスポートコントロールを終えて空港の外に出た時、時刻はもう午後10時を過ぎていた。
24時間以上の長旅で疲労困憊(こんぱい)の身であれば、当然一刻も早く宿のベッドに横たわりたいと思うのだが、いくら捜しても迎えに来てくれるはずの現地事務所の所長の姿が見当たらない。事務所に電話しても応答は無く、30分ほど待って意を決してタクシーに乗ることにした。しかし、怪しげな風体に見えた運転手が人里離れた山道にハンドルを向けた(ように思えた)時には、さすがに緊張した。
だが、それも杞憂(きゆう)に終わり、ホテルに到着した時にはほっとした。その瞬間、ホテルから誰かが飛び出してきたと思ったら事務所長。「ごめん、ごめん、夕方転寝(うたたね)したら寝過ごした」。
先日、成人前の青年と話をした際にこう言われた。「僕は外国語もまったくできないけど、どうしても海外に行ってみたいんですよね」。その心意気や良し。行けばアクシデントもあるだろうが得るものもきっと多いはずだ。飛び出せ若人、地球は広いぞ。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成25年6月5日号掲載)
第216号 今後の展開に大きな期待を
4月27日土曜日は、第2回目の調布市防災教育の日。市立小中学校28校一斉の取り組みということで、その内容を楽しみにしながら何校かに伺わせていただいた。
まず当日感じたことは、一斉実施の意義だった。午前中に駆け足で4校を訪れたのだが、車で移動しながら、訪問できない学校も含めてどの小中学校の近辺でも、早朝から保護者の方が熱心に学校に向かわれる長い列を目にした。その光景は、義務教育学齢児がおられないご家庭の方にも、市内一斉防災意識の啓発として必ずや好影響を及ぼしたに違いない。
1校目は一小。有名な小泉八雲の「稲むらの火」を題材とした人形劇で津波の恐ろしさを分かり易く解説。次の柏野小では、調布消防署の全面的協力のもとに保護者向け公開講座「地域防災の重要性」の開催。深大寺小は、体育館で6年生が災害図上訓練を行うのに並行して、3・4年生が校庭で初期消火訓練。そして、神代中では社団法人「たった一つの命」の皆さんによる命の尊さを聴衆に訴えかける朗読会(上ノ原小と共催)。
それぞれ、とても実践的あるいは深く心に沁みる企画だった。各校独自に趣向を凝らした素晴らしい取り組みを拝見して、来年以降の展開に寄せる期待がさらに大きなものとなってきた。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成25年5月20日号掲載)
第215号 水木先生に導かれ
誰しもそうだろうが、時折ご縁というものの有難さをしみじみ感じることがある。
4月20日に開催された「遠野・調布交流会」は、誠に心温まる雰囲気の素晴らしいイベントとなった。遠野市を起点とする震災復興支援活動に、調布市社会福祉協議会が組織したボランティア派遣が果たした役割を再認識するとともに、今後の両市の協力関係の継続を誓い合い、協力企業を含めた双方約170名もの市民の交歓は予定時刻を超過してなごやかなうちに終了した。
しかし、このような良好な関係を築くことができたのも、もとはと言えば、水木しげる先生のお蔭と言える。遠野物語の漫画化などを通じて遠野に深い愛着を持っておられる水木先生につながるご縁を大事にしながら両市の交流を発展させていこうとの合意が、ちょうど震災直前に遠野市の本田敏秋市長との間で成立していたのだ。
そのことにより、震災直後、遠野市へのボランティア派遣が始まったのだが、本田市長が卓越した危機管理の構想を以前から提唱されていたことが、我々の活動を有効に機能させる大きな原動力となったことは間違いない。大震災以前から津波の被害に警鐘を鳴らし、遠野を被災地の後方支援拠点と位置付けておられた見事な先見性に、心から敬意を表させていただきたい。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成25年5月5日号掲載)
第214号 爽快なれど
早朝、歩いている。自宅に近いエリアだが、染地から桜堤通りを西に向かい多摩川の土手に上がり、今度は川の流れに沿って2キロほど東に直進し狛江市に入る。そして、多摩川住宅を北進し染地小学校の近くで左折して「染地せせらぎの散歩道」などを通って帰ってくる。所要時間は1時間弱、時速6キロを心掛けるようにしている。
以前からそのようなことに取り組もうかと漠然とは考えていた。もちろん第一義的には健康のためだが、ほかに1日のリズムをより明確にしたいとの思いもあった。ただ、続ける自信はあまりなかったので、長く逡巡(しゅんじゅん)しながら現在に至ったというのが正直なところだ。今でも、このように公にしてしまうことに小さくないためらいもある。
意を決して開始した3月はまだかなり寒かった。厚着の上にグラウンドコートを羽織り、皮手袋をして白い息を吐いていた。最近は本当に爽快だ。ジョギングも含めて、土手の人出も随分増えた。時折すれ違う方から挨拶されて、慌てて会釈をする。
毎日欠かさず1万歩以上歩き、体重も少しずつではあるが減少気味。加えて、たまにしこりを感じていた腰痛にも良さそうな効果、となればいいことづくめ、と言いたいが、そうもいかない。6時前の起床には、まだまだ苦労しております。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成25年4月20日号掲載)
第213号 別れと出会い
さあ新年度。気持ちも新たに明るい展望を描きつつ諸事業に臨んでいきたい。
ただ、毎年のことながら年度末の人との別れは淋しいものだ。先週も、この10年間のさまざまな出来事が思い出され、多少感傷的になってしまった。
そして、入れ替わりにフレッシュな若者たちが入ってきた。はじけるような笑顔に接すると、こちらまで元気をもらったような気分になる。思わず「この先、厳しい場面もあるだろうが、今の溌剌(はつらつ)さを忘れずに頑張れよ」と声を掛けたくなってしまう。
これまでにお知らせしてきたように、この4月から調布市は、新たな10年間の行政計画をスタートさせた。厳しい財政状況下ではあるが、今世紀のわがまちの骨格を定める大変大事な期間であることは言うまでもない。
また、第68回国民体育大会(通称「多摩国体」)と第13回全国障害者スポーツ大会の開催までいよいよ半年足らずとなった(註)。ボランティアとしての協力を申し出ていただいた市民の皆様に心から感謝申し上げるとともに、改めて、日本最大かつ最高レベルのスポーツ大会のメイン会場がわが味の素スタジアムである幸運を全市民に再認識していただきたいと思う。5万人の大観衆で埋め尽くされた開会式の興奮を体験できることはどれほど素晴らしいことだろう。
調布市長 長友貴樹
(註)スポーツ祭東京2013(第68回国民体育大会・第13回全国障害者スポーツ大会)は9月28日(土曜日)から10月14日(祝日)まで開催される。調布市の味の素スタジアムで、開・閉会式とサッカー、陸上競技が行われる。
(市報ちょうふ 平成25年4月5日号掲載)