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ページ番号:3520
掲載開始日:2011年3月5日更新日:2011年3月5日
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平成22年度 市長コラム「手をつなぐ樹」(第155号から第172号まで)
コラム一覧
- 第172号 雪解けて地固まる(平成23年3月5日号)
- 第171号 情報伝達のもたらすもの(平成23年2月20日号)
- 第170号 悩みはつきねど(平成23年2月5日号)
- 第169号 少しでもお役に(平成23年1月20日号)
- 第168号 運を自力で引き寄せて(平成22年12月20日号)
- 第167号 冬木立(こだち)を前に(平成22年12月5日号)
- 第166号 見果てぬ夢か(平成22年11月20日号)
- 第165号 紺碧(こんぺき)の空の下で(平成22年11月5日号)
- 第164号 ありがとう(平成22年10月20日号)
- 第163号 今こそ力を合わせて(平成22年10月5日号)
- 第162号 情報の氾濫(はんらん)の中で(平成22年9月20日号)
- 第161号 あの夏の日(平成22年9月5日号)
- 第160号 余韻をつなげて(平成22年8月20日号)
- 第159号 世界の大舞台で(平成22年8月5日号)
- 第158号 ぬくもりを大切に(平成22年5月20日号)
- 第157号 便利にはなったけれど...(平成22年5月5日号)
- 第156号 桜舞う季節に(平成22年4月20日号)
- 第155号 期待しています(平成22年4月5日号)
第172号 雪解けて地固まる
2月下旬、境港(さかいみなと)、安来(やすぎ)両市の町並みから雪はほぼ消えていました。しかし、太い松の木々が倒れるなど、雪害の大きな爪あとはまだ生々しく残っています。
境港の中村市長は、「今まで境港において、雪の重みで船が沈没するなどということは経験したこともないし、他の地方でもあまり例がないことでしょう」と驚きを語られ、安来の近藤市長は、「正月には孫に会えるのを楽しみにしていましたが、とてもそれどころではなく、結局会えずじまいでした」と残念がっておられました。
お二人とも復旧活動の陣頭指揮にあたられ、正月三が日もくつろぐような暇(いとま)はまったくなかったそうです。全市民も同様の状況だったでしょうから、まったくお気の毒なことでした。
2月中旬までの1ヵ月間に募らせていただいた「ぬくもりお見舞金」につきましては、市内外の多くの皆様にご協力いただき、誠に有難うございました。お蔭さまで総額約253万円の寄付金を2等分して両市に差し上げることができました。そして、現地における見舞金受け渡しの模様は、新聞、テレビなどで大きく取り上げられ、両市長からも丁重な謝意が表されました。
「ゲゲゲの女房」で深まったご縁を今後とも大切にさせていただきたいと思います。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成23年3月5日号掲載)
第171号 情報伝達のもたらすもの
科学技術の進歩は常に歓迎すべきことと言えるのだろうか。
たとえば電話や腕時計が社会全般に広く普及したのは20世紀のことだ。換言すれば、僅か数十年前までは、対人関係においても直接会う以外には急を要する案件を伝えるすべが無かったわけだし、その待ち合わせの時刻を定めることも容易ではなかったことになる。ただ、そのような環境を想像すると、とても暮らしていけないと思う反面、なにかほっとする安堵感のようなものを覚えることも事実だ。今は、地球の裏側にいても携帯により捕まってしまうのだから。
そして、携帯電話及び不特定多数を対象とする通信手段のめざましい発達により、一国の体制が打倒されてしまうのだから、すごい時代になったものだ。
しかし、体制が変わることの意味は単純ではない。確かに、非民主的な抑圧政治が続いていたとすれば変革は必要だっただろう。だが、その後の新たな社会が、あらゆる意味で国民にとってより良いものになるとは限らない。80年代にフィリピンでは、「民衆革命」によりマルコス体制が倒されアキノ政権が生まれたが、結局マルコス以前の支配階級が復権したにすぎず経済は停滞した。情報伝達の意義を確認するためにも、今回の政変後の各国の推移を見守りたい。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成23年2月20日号掲載)
第170号 悩みはつきねど
1月後半のある夕刻、仕事のため車で移動中に、ふと西の空を見やると茜雲が本当に綺麗だった。それにおもわず見とれながら、日が長くなったものだとつくづく思う。5時以降でもまだ薄暮の状態だ。以前、相撲好きの方が、「初場所の初日と千秋楽では日の長さがかなり違うんだよな」と言っておられたことを思い出す。
他愛もないことと言ってしまえばそれまでだが、私はそんな時、それだけでその日1日がなんとなく心楽しくなる。みなさんはいかがでしょうか。このせちがらいご時世にのんきなことを言うな、とお叱りを受ければお詫びを申し上げるしかないが、私は渡る浮世も気の持ち方と自然に思えてしまう自分のおめでたさにただ苦笑してしまう。
先日、学生時代の仲間と久し振りに飲んだ折、四方山(よもやま)話のやりとりの中で一人が、「もし家族がなければ孤独だよな」としみじみ言うので全員がその通りだとうなずいた。と、次の瞬間同じ男がこうも言った。「だけど家族がなければのどかだよなあ」。
一見何の変哲もないように感じられる日々の営みの中でも、それなりに毎日喜怒哀楽さまざまな出来事が生じ、誰しも一喜一憂する。でも他者と共有する悩みすらも、ときに生きる力の源泉となっているといえようか。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成23年2月5日号掲載)
第169号 少しでもお役に
新年を迎え、関東地方は比較的穏やかな日和に恵まれ幸運だったが、他の地方では昨年末以来、厳しい天候が続いているようだ。
その中で、山陰地方を襲った寒波による記録的な大雪も各地で甚大な被害をもたらしていることが年初来、大きく報道されている。山陰と聞いて、即座に境港(さかいみなと)、安来(やすぎ)両市の状況がどうなっているか心配になった。いうまでもなく、昨年のNHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」放映に関連する諸事業では、水木しげる先生ご夫妻の出身地である両市の多くの方々に大変お世話になっていたからだ。
調べてみれば、やはり境港市で多くの漁船が沈没・浸水したほか、安来市においても住宅の損壊や農業用ハウスの倒壊などで大きな被害が生じているとのことだった。漁船の沈没を目の当たりにして、「もう漁業をやめざるを得ない」と言われた方もおられるとのことだ。
今後とも末永くお付き合いさせていただく両自治体の窮状に接し、可能な支援を考えさせていただきたい。市民の方からも同様の声が寄せられている。
そこで、2月15日までの期間、水木プロダクションのご協力も得ながら、見舞金を募らせていただいている(註)。皆様のご協力を切にお願い申し上げます。
調布市長 長友貴樹
(註)詳細は、3面の「ゲゲゲで育む「ぬくもりお見舞金」のお願い」をご覧ください。
(市報ちょうふ 平成23年1月20日号掲載)
第168号 運を自力で引き寄せて
徒然(つれづれ)なるままに来(こ)し方を振り返るとき、人生のさまざまな局面において、運の要素が介在することは否めないと、誰もが思われるのではないだろうか。
顧みれば、エッセイ「ゲゲゲの女房」を持参して、連続テレビ小説に採用していただきたいとNHKにだいそれたお願いをしたのは2年半前、平成20年の夏であった。だが、即座に色よい返答があったわけではない。当然のことながら。だから、翌年4月に放映決定の朗報に接したとき、一瞬、それが現実の出来事だとは思えなかった。まさか、本当に調布市が国民的ドラマの舞台になろうとは。私が依頼したからとは申しません。ひとえに、わが市が強運だったということにつきるのだが、ただそれにしても。
他方、まことに残念ながら、市を挙げて応援してきたFC東京がJ2に降格してしまった。その要因はさまざまに論じられているものの、ひとたび歯車が噛み合わなくなると、敗戦の悪循環に陥るがごとく、もどかしくも勝利の女神は急速に遠ざかる。なんとしても来季、態勢を立て直し、運も自力で引き寄せてJ1に復帰してもらいたい。
思案をめぐらし今年も暮れる。
すべてのご家庭にとりまして、明年が幸多き年となりますよう 心からお祈り申し上げます。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成22年12月20日号掲載)
第167号 冬木立(こだち)を前に
先日、また馬齢を重ねた。さすがに今や、たいしてめでたくもなし。ただ、祝日なので家族を含めて周囲の人に比較的覚えてもらいやすいのは幸運というべきか。
今年は小春日和の日がきわめて多かったと感じたのは私だけだろうか。誕生日前後も仕事で市内各地をまわっていると、うららかな日差しの中で思わず足を止めて見入ってしまいそうになる美しい光景に何度も出くわした。紅(あか)や黄の原色鮮やかな葉をまとう木々が緑樹とともに織りなす色のハーモニーは、本当に心を和ませてくれる。
昔学校で、紅(黄)葉は葉緑素が分解しておこる化学現象だというようなことを習った記憶がおぼろげにあるが、私は生来、あまりそのような無粋な(?)知識は必要としたくない部類の人間だ。ああ綺麗だ。それで十分。
しかし、そのようにあでやかな木々も、一瞬のちには寒々しい冬木立となってしまう。
すでに葉を落とした並木の間を一人で歩く時、若い頃だとおそらくコートの襟を立て、足早に目的地を目指すだけだったろう。その風情を楽しむような感情はついぞ記憶にない。だが今は、荒涼として寂しげな情景にも何かそこはかとない安堵感を覚えることがある。おもしろいものだ。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成22年12月5日号掲載)
第166号 見果てぬ夢か
人間誰しも齢(よわい)50代ともなれば、仕事を終えたあとの人生について思いをめぐらすのではないだろうか。
私はやはり、まずゆったりと旅をしてみたいと思う。あまり日程を詳細には定めずに、足の向くまま気の向くままに国内くまなく風光明媚(めいび)な地を訪ね、山海の珍味に舌鼓を打つような時間の過ごし方を念願している。それと、昭和の味わいを色濃く残す町並みを散策することも大好きだ。しみじみと風景に浸るひととき、童心に返る思いで本当に心が癒(いや)される。
同様に、事情が許せば国外にも足を伸ばしたい。永住する気はないが、滞在型の渡航にも大いに心惹かれるものがある。過去に10年近く住んだ欧州はもとよりアジア、アフリカを含め訪れたいまちは限りなくある。
また、どなたもそうだろうが、私にもいくつか心楽しいサークルがある。学生時代の仲間、駐在先で苦労を分かち合った友人達などなど。一献(こん)酌み交わし、共通の趣味に興じるような交友をいつまでも続けていきたいとつくづく思う。そのような会合で、「どうだろう、将来みんなで協力して山小屋を共同所有するという夢は」と提案してみた。もっとも、実現の可能性にあまり執着しないからこそ夢といえるのかもしれないが。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成22年11月20日号掲載)
第165号 紺碧(こんぺき)の空の下で
異常気象と呼ぶほどの今夏の猛暑の余波だろうか、今年は金木犀(きんもくせい)のかぐわしさを覚えることが極めて少ないように思えた。例年よりかなり遅く、10月に入りかすかに芳香が漂ったかと思う間に、折悪しく降りしきった雨により、花がどさっと地に落ちてしまった。なにか秋を1回損したような心持ちだ。
そして20度台後半の気温が10月半ばまで続くに至っては、季節感もあらばこそといったところだったが、その後はさすがに平年並みの気候に落ち着きつつある。すると、陽光の眩しさが一気に失せ、紺碧あざやかな空がひときわ大きく感じられる。
秋の爽快感に包まれる中、またもわが市に朗報がもたらされた。名誉市民、水木しげる先生が今年度の文化功労者に選ばれたのだ。長年の文化・芸術活動が高く評価されたもので市を挙げてお喜び申し上げたい。また、同時に発表された文化勲章受章者の中に、建築家の安藤忠雄氏ならびに演出家の蜷川幸雄氏が含まれたことも嬉しい限りだ。両氏には調布のまちづくりに多大なる貢献をいただいてきた。
しかし、心楽しいことばかりではない。同じ時期に、長年お世話になった方の訃報にも接した。往時を偲んで寂しさを禁じえない。秋は心晴れやかでもあり物悲しくもある季節だ。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成22年11月5日号掲載)
第164号 ありがとう(註1)
「ゲゲゲの女房」が終了してから、はや1ヵ月が経過しようとしている。今思い起こせば、3月末以来の半年間があっという間だったようにも思える。
自分の住むまちが何ヵ月もの間ドラマの舞台になった幸運が、いまだに信じられないような気がするのは私だけだろうか。平成の大合併があったとはいえ、現在でもわが国には1700を超える市町村が存在するというのに。あらためて、水木しげる先生および奥様の武良布枝さん、その他多くの方に心から感謝申し上げなければならない。(註2)
子を思う親の心情、さりげないしぐさに垣間見る夫婦愛、目標に向かって一心不乱に努力を続ける気高さなど、ドラマをご覧になった方はそれぞれの感慨をお持ちになったことだろう。
一見、何の変哲もない日々の営みを描いたようにも思えるドラマが、終盤には何週間も連続して全番組中、視聴率第1位を記録した。やはり、現代の世相と比較した時に、懐かしさとともに、日本の本来あるべき姿を感じとられた方が多かったということなのだろうか。
旧甲州街道沿いに設けた観光案内所「ぬくもりステーション」は3月までの運営継続を決めた。また今後、境港および安来のみなさまとも協力して、ドラマの温かい余韻をまちづくりに生かしていきたいと考えている。
調布市長 長友貴樹
(註1)いきものがかりが歌う「ゲゲゲの女房」テーマソングのタイトル。
(註2)調布市は10月1日、水木しげるご夫妻ならびに株式会社水木プロダクションに対し感謝状を贈呈いたしました。
(市報ちょうふ 平成22年10月20日号掲載)
第163号 今こそ力を合わせて
FC東京が本当に心配な状況となってきた。9月末時点で10試合連続、勝利から遠ざかっている。J1における順位は18チーム中16位で、このままでは来季、下部リーグのJ2に降格しかねない(註)。
顧みれば平成に入り、東京(現名称 味の素)スタジアム建設計画が進展する中で、プロサッカーチーム誘致の機運が高まり、多くの関係者のご努力の甲斐あって、調布市民とFC東京の極めて良好な関係が築かれてきた。
今回、あらためて調布市内のさまざまな催しにおける、FC東京のみなさんの協力状況を調べてみた。その内訳は、花火大会、駅伝競走、商工まつり、子供向け行事、福祉事業などまことに多岐にわたり、最近1年間では総数60以上にも達している。加えて、平成16年にはナビスコカップの優勝賞金の一部を市に寄付していただいた。それを主な原資として設置したのが市立第三中学校の夜間照明だ。
調布市にこれだけ大きな貢献を果たしてきたチームが、10年前のJ1昇格以来最大のピンチに直面している。
FC東京はわが調布市の大きな宝である。残るは9試合。今こそ苦しみを分かち合い、難局を乗り切る支えとなれるようシーズン終了まで全力で応援を続けたい。
調布市長 長友貴樹
(註)J1の下位3チームは、J2の上位3チームと自動的に入れ替え。
(市報ちょうふ 平成22年10月5日号掲載)
第162号 情報の氾濫(はんらん)の中で
先月、南米チリの鉱山で発生した落盤事故後に、生存が絶望視されていた作業員33人が、幸運にも全員無事であったとのニュースが伝えられた。その報に接し安堵するとともに、「世界中が固唾(かたず)を呑んで成り行きを見守っています」との報道コメントを聞いて、あらためて情報社会のすさまじさを思い知る。朗報が現地で伝えられてからわずか24時間以内のことなのにと。
今日、国際的な活動に携わる人の一日は、毎朝インターネットで世界中の情報にアクセスすることから始まる。また、ある方が大銀行のトップに面会した折、相手が何度も中座するのでその理由を尋ねたところ、「為替相場を常にチェックしなければならない」と言われたとか。
迅速かつ膨大な情報の氾濫の中で、いかにそれをうまく使いこなすかが現代人に問われている。そのためには、収集すべき情報分野を絞り込むことが重要であるとともに、集めたのちに不要なものをいかに早く捨てられるかが鍵となる。
たとえば、確かに魅力的な事業情報は全国にあふれている。しかし、この困難な経済状況下で市の財政事情を踏まえて、将来を見通しながら厳しく優先順位をつけていくしかない。今後も容易ではない作業が続いていく。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成22年9月20日号掲載)
第161号 あの夏の日
小学生時代に団地に住んでいたが、そこは、子どもたちにとって大変便利なところだった。なんといっても、まず遊び仲間に不自由するということはない。団地の真ん中には大きいグランドがあり、そこに行けば必ず誰かしら友達に会えた。特に夏休みは連日、人は入れ替わりながらも皆でガヤガヤと暗くなるまで時を忘れて遊びに興じていた。本当に楽しかったなあ。
だが、いったいどうしたことか、いつまで待っても自分のほかに誰も現れない、そんな日もあった。待ちくたびれた後、仕方がないから一人でグランドに面した少し小高い丘に位置する集会所に行く。集会所の裏は日陰で、猛暑の時間帯にもひんやりした風が吹き抜ける別天地であることを知っていた。
涼風に加えて、半ズボンで投げ出した素足にあたるコンクリート床の心地よい冷気を肌に感じながら壁にもたれていると、ついうたた寝をしてしまうほど気持ちがいい。聞こえるのはただせみの鳴き声だけ。みんなはどこへ行ってしまったのだろう。多少、意識が朦朧(もうろう)とする中で、自分だけが置いてきぼりにされたような、そんな、そこはかとない心細さにおそわれたものだ。
夏が終わりに近づくころ、毎年なぜかあのことを思い出す。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成22年9月5日号掲載)
第160号 余韻をつなげて
7月から8月にかけて市内全域のさまざまな夏祭りに伺わせていただいた。長年に渡り、イベントを実施するためにご苦労されている各地区の関係者のご尽力にはあらためて頭の下がる思いだ。本当に有難うございます。
盆踊りのにぎやかな雰囲気の中で楽しい会話も弾み、時の経つのを忘れてしまいそうになるが、今年はやはりどこに行っても「ゲゲゲの女房」の話題で持ちきりだった。視聴率もうなぎのぼりで、8月第1週まで4週間連続で全番組中第1位を記録している。「遠方の知人がドラマで調布の名を見て便りをくれました」などという声をよく耳にする。
また、例年通り姉妹都市、木島平村の夏祭りに文化協会の皆様などと一緒にお邪魔したが、今年は我々を迎えるべく、鬼太郎など水木しげる作品に焦点を絞った盛りだくさんの趣向が用意されていた。本当に嬉しく思うとともに姉妹都市交流の意義を再認識させていただいた。
ドラマは9月25日まで続くのであと1ヵ月ほど楽しませていただけるわけだが、これだけ反響が大きいと、終了後の脱力感もそろそろ気になるところだ。
たやすくはないが、余韻を可能な限りまちの魅力づくりにつなげていきたいと考えている。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成22年8月20日号掲載)
第159号 世界の大舞台で
サッカーワールドカップ南アフリカ大会が終了し、はや1ヵ月近くが過ぎようとしているが、まだあの興奮がつい昨日のことのようだ。
日本チームはよくやったといえるのではないだろうか。前回1、2位だったイタリアとフランスがともに予選リーグで敗退したことを考え合わせても、決勝トーナメント進出は賞賛に値する。
そして、その代表チームにわがFC東京の長友、今野両選手が加わっていたことも、応援に力の入る大きな要因であったことは疑いない。ただ皮肉なことに、長友選手は大会での大活躍が世界での高評価につながったこともあり、その後の活動の場を海外(イタリア)に求めることになってしまった。
これまでFC東京の味スタでのゲームをほとんどかかさず応援する中で、私は嬉しかったなあ、あの「長友コール」。もちろん自分のことでないことは分かっていても。だからちょっと寂しくなるなあ、これから。
ただ先日、渡航直前の長友選手に短時間会うことができたので、彼の今後の飛躍を期待する調布市民の熱い思いは代表して伝えさせていただいた。
日焼けした顔からこぼれる真っ白な歯がきわめて印象的。フレーフレー、ながとも。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成22年8月5日号掲載)
第158号 ぬくもりを大切に
「ゲゲゲの女房」の舞台が4月23日からいよいよ調布市になった。深大寺ロケの場面もすでに放映されているが、毎朝、全国にわがまちの名が紹介されることはうれしい限りだ。そして、ドラマの効果が明確に生じつつあるようで、このゴールデンウィーク期間の深大寺周辺の人出は例年を大きく上回ったと聞く。
ドラマのストーリーも大変好感が持てる。確かに、あれだけ楽しみにしていただけに多少身びいきがあるかもしれないが、それを割り引いたとしても、深く心に響くものがある。
水木しげるさんご夫妻の日常生活を描きながら、人と人との情愛あふれるつきあいを通して、その当時(昭和30年代)の日本社会のぬくもりに満ちた世相を見事に視聴者に伝えている。隣家同士で夕餉(ゆうげ)の惣菜をやりとりし、もらい湯も珍しくなかった頃、地域における人間関係は間違いなく今より濃密だった。
あれからはや半世紀。現代においては、親切な心遣いが時としていらぬお節介と見なされるばかりか、下手をするとプライバシーの侵害とまで言われてしまう。漱石の草枕ではないが、「とかくに人の世は住みにくい」とぼやきたくなることもあろう。
本ドラマをきっかけに、今一度、心温まるまちづくりについて考えてみたい。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成22年5月20日号掲載)
第157号 便利にはなったけれど...
携帯電話は、現在わが国にどれほど存在するのだろう。家族の数より多いご家庭も少なくないと聞く。
便利であることは疑いない。ついこの間までは、屋外にいる者同士が連絡を取り合う手段は無かったのだから。しかし、便利さに甘えているうちに、逆に機械を通して人間が束縛され、貴重な時間を浪費して日々の生活に余裕を失いつつある傾向も生じてきたのではないだろうか。
電車に乗った時などに痛感する。用途はさまざまだろうが、周囲を見渡しただけで携帯を操作する人のなんと多いことか。この、携帯が登場する前と比べて飛躍的に増加した情報のやり取りの一体何割が必要欠くべからざるものなのだろう。
その一方、もしもう少し早くこのような時代になっていたらどうだっただろうと想像することも確かにある。あの日あの時に携帯があったなら人生が変わっていたに違いないと思う方もきっとおられるのだろう。
ただ、ときにうまく会えないこともあるから、待ち合わせに今以上の感激があったのかもしれない。「君の名は」の数寄屋橋のすれ違い(と言っても分からない方のほうが多いのだろうが)がもう永久にあり得ないことになんとなく味気なさを感じるのは私だけだろうか。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成22年5月5日号掲載)
第156号 桜舞う季節に
年度末、長年に渡りお世話になった方が、要職を辞されるとのことで最後のご挨拶にみえた。賜ったご厚情に対し心からのお礼を申し上げながら、人との別れの寂しさをあらためて痛感する。聞けば今後は東京を離れ地方で暮らされるとのこと。何かの機会にまたお会いできることを願わずにはいられなかった。どうかお元気で。
同様に、一つ屋根の下で起居を共にする家族にもいつかは別離のときが訪れる。その時、自分はどのような感慨を覚えるのだろうか。今年も入学式でピッカピカの小学一年生をほほえましく眺めながら、わが家でもそのような情景に接したのがついこの間のような気がして、時の流れの速さを今さらながらに思い知る。子どもたちが自力で歩み始めることが喜ばしいことは言うまでもない。しかし、その足取りがいつまでも気になるのが親というものなのだろう。
親ならば誰しも、もしわが子が人生に悩み傷つきうずくまっていたら、できる支援はなんでもしてやりたいと思うのではないだろうか。本人のためを思い、実際に手を差し伸べるかどうかは別としても。
咲き終えて風に舞う桜の花びらにたとえようのないはかなさを感じながら、とりとめもなくそんなことを思っていた。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成22年4月20日号掲載)
第155号 期待しています
今年も桜が花開かんとするこの時期、大学を含むいくつかの卒業式に出席させていただいた。
厳粛な中にあっても、学生(生徒)たちから人生の次のステップに向けての胸はずむような期待に満ちた息づかいが感じられ、こちらまで心が浮き立つような思いがした。また、保護者のみなさんの深い安堵感もひしひしと伝わってくる。本当におめでとうございました。
ただ、現今のわが国を取り巻く社会・経済情勢はまことに厳しいものがある。卒業生および彼らを見守る方々に、先行きに対する漠とした不安が存在することも容易に想像できる。その昔、「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」という企業CMがあったが、やはりこれからの長い人生を乗り越えていくためには、タフな精神力も必要となってこよう。
それと、これは私が頻繁に感じることなのだが、是非、賢い人になってもらいたいと思う。誤解のないように申し上げると、成績が良い人と賢い人とは必ずしも同じではない。地域でまた職場で、周囲の人々に気配りを忘れずに、社会の構成員としてさりげなく貢献することは実に難しい。賢明でなくてはかなわぬことといえよう。私などは恥じ入るばかりだ。またいつか、卒業生との再会を楽しみにしたい。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 平成22年4月5日号掲載)